シンタックホーム 菅野照夫
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2010年01月12日

冬景色・みちのく気仙

北緯38.977145,東経141.624933線付近

岩手宮城の県境を越え、岩手県沿岸最南端の集落を
我が家まで2km弱国道45号線北行き走行中、車内から冬景色を
風景。テレビなどは東北は大雪など言ってましたが、
太平洋側の山並み標高875mの半分上は雪景色ですが、
国道の路面には雪は無しです。


0106-01.jpg

関東圏の方から電話を貰うと雪で大変でしょうと
聞かれますが、全然ありませんと答えます。もちろん
20km以上内陸峠に入ると、日陰の面には雪の痕があり、
車、走行は気をつけないと一瞬・・・・・何処に行くやら。


0106-02.jpg

若布・ホタテ・牡蠣・ほやの養殖する広田湾沿いを
走る景色は国道のガードレールも景観に配慮視覚が良いものに
設置替え、車高低い車でも湾景色が眺められ快適です。

内陸国道4号・東北縦貫道より雪が無い分ドライバーも
楽だろう思います。山に雪が無いとこれから収穫の
早採り若布には雪水が来ないと良い味にはなりません。
やはり雪も降ってもらわないと食にとって大事です。       
posted by kanno at 16:24| 岩手 🌁| Comment(0) | 気仙の辺辺――気仙道(往還沿い) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

新しい三陸道の「夜明け」トンネルが貫通

着々と進む仙台から三陸沿岸を北上する。三陸道がまたも1つの区切り「新唐桑トンネル」予告なしで貫通していた。
0327-4.jpg

気仙沼市街から北上して直ぐ上り2車線の長い坂道の上に「唐桑トンネル」がある。昔からの難所も昭和40年半ばに改良がなされ、現在ではトンネル巾が狭く大型車のすれ違いも慎重に運転しないと側壁に接触と危険なトンネルだ。
0327-0.jpg

そのトンネルを出ると現在工事進行中の現道またぐ橋が目に飛び込んできます。その先の山肌にポッカリと穴が開いているではないの、トウトウ北から堀進めたトンネルが貫通したのだ。
日に日に工事がはっきりと判るのです。
0327-1.jpg

トンネルから出るズリを運ぶ大型ダンプが1日に何度もわが町の残土置き場に往復しているのです。このダンプの数が減ると、くり貫き工事も終盤になるのだが、マダマダ毎日運んでいるのを見ると、時間が掛かるのがわかるのです。・・・・・・・・・・待ち通しい。

0327-3.jpg

2007年10月30日

優雅な「ボート」遊び

高田松原の西、古川沼と気仙川河口が合流付近に「岩手県立野外活動センター」に設置されているボート場近くの水門付近に車を停めて松原1周を歩く。




羨ましい。
一人で自由に漕いで近くまで来る。

休日をボートで過ごしなんて、
本当に優雅ですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・優雅だね



ボート場を遠くから眺める。休み日は家族連れで多い。地元より遠くから人の方が多いと聞く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

詳しくは―――――高田松原野外活動センターTOP
http://www.echna.ne.jp/~takataya/top.html 
 
施設利用の――――〜 お知らせ 〜 
○当センターは、野外活動、スポーツ活動などができる研修施設です。200名収容の宿泊棟も備えています。センターでの研修及び周辺での研修活動の際に宿泊できます。

○利用日の6ヶ月前からご予約をうけたまわっており ます。(日帰りの体育施設利用やご家族での宿泊利用は1ヶ月前からの受付です。)

○体育館でフットサルができるようになりました。 ゴールも貸し出しています。

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巨大水門、真水と塩水の境で時化の時、津波警報時は稼動している。


2006年10月30日

気仙かべの真髄

地元、旧浜街道「今泉」街並み通りに面して大きな土蔵が目に付きます。
みそ、醤油の製造元「和泉屋」さんの土蔵が2棟通りに見え、
手入れが良いため、通りを明るくしての海鼠かべは落着きを感じます。
昔から火事が多く、商売品を大事に扱うためには是非とも必要だったのです。





妻側から見る、海鼠は太く力強く、すぐ手前の3差路の交差点から歩きながらの
風景に、街の品格を現れ、流行に惑わせられないモノクロの、永遠の美があります。
古い街並みに、海鼠かべがあると何故かホッとするのは何故だろう。




スケールを充てて図ると9寸角、三分の一が海鼠とこのような図形には
大きさのバランスが大事です。単に海鼠つければよいものではなく、
かべ全体の中で割付しないと、白黒のバランスが崩れると取り返すがつきません。




この街の中では、1番大きな土蔵です。過日岩手県指定文化財になった。
9.9日のブログで紹介)吉田家大庄屋の土蔵です。

2004.1.7ブログで紹介)




この春に、解体されどこかに消えた、姉歯橋のたもとの旅館の土蔵
聞くところによると関東方面に第二の住処に嫁いだととのことです。
粗大ゴミにならず良かったと後で聞きました。
どこの街にも古ければ古いほどある土蔵は良いですねえ。

しかし益々、地方の荒廃に土蔵を持って移動も出来ず、困ったもんだ。
御国の御偉い檀那様立ち、ナジョニ考えでんだべねぇす。

このままいったら、お目様たちバッジ着けられなくなるんじゃない。
どうしんのす、マンマ食えなくなるんじゃないの、明日明日お祭りも
シネバなんねべす、人のことかまってで足元良いんだべか
アナ(穴)と不倫などしてる暇があるんだねぇす、一票書いてくれる人が減ったら
マンマ食えなくなるべもの、その前にこっちトラ先にどこさか逃げねばと
考え出る人が多くなってキァンシタガ、ウカウカしてで、いったっけか崖プチだったりして
おら、しゃねぇ。・・・・・・・・・?


2006年10月18日

「気仙大工」第1歩の地

「板倉パネル展」

我々の先人気仙の大工が、この気仙の地から離れ「浜街道」松の坂峠を越え陸路を南にはむかい最初に葉佩を下ろしたところが、同じ伊達藩内の、港町旧本吉郡気仙沼町である。

地理的には隣町で、仙台から気仙に来るのには必ず通らなければならなく,その町が昭和の初めに大きな火災に見廻れ、町がほぼ全滅したのだそうです。その再興に多くの気仙の大工・左官職人らが携わり残された商家の復旧にあたったと聞きました。その町が今、近代化ではなく歴史の重さを感じる町に、町全体が大きく傾き始めております。(文化を残しことは次世代には良いことである)

その活動に1人、真山建築家女史がはじめたのがきっかけで、町の中心ばかりではなく、町から外れた農家の建物にもスポットをあてて、高校生を巻き込み「板蔵」の見直しにも着手し、その第1弾の発表会が今月28−29日の両日開催されることになり、その案内が来ました。時間都合が取れる方はご覧になってください。帰りは新鮮な「秋刀魚」が買えればなお良いと思いますが。

柱間が狭い(1尺間隔が多い)のと、板を縦に使っているのが特徴です。建築当時の建て主の財力が見せ付けられます。柱間が1.5尺間になると横板で、やはり立板との違いなどがハッキリと判りいます。いつの時代でもそうですが、「文化」というのは無駄なような物を創るのも時代に生きた方々のゆとりではないでしょうか。それから見ると、現在の建築にはそのような文化がないような感がします。所詮借金付けに、文化を考える余裕がないのも致し方がないのが現実である。

「風待ち研究会」HP
中身が濃いので1度覗いたら、「気仙沼」の文化の濃さがわかります。





2006年09月09日

「吉田家,木造の主屋建物」などが岩手県指定有形文化財なる

平成7年、先に指定を受けた。「古文書」が先。
HPが見当たらない。???下に文化財情報コピーした。

マジで目出度し、目出度し。ようやく、陽の目を見る建物になった。
2300坪屋敷一帯にある、主屋・土蔵・味噌蔵・納屋の4棟が今回、県指定有形文化財に指定された。
このブログ公開(2004.12.30が始まる前、一昨年に、有る筋からの情報で、県の審議会などの、内部では指定が決定していたのですが、それがこのほど内容がマスコミに公開されたのです。

地元紙の記事



「文化財情報 詳細」から

吉田家は元和6年(1620)に仙台藩気仙郡上有住村より今泉村に移住したと伝えられている。
 当家伝来の「伊達政宗黒印状」(元和6年極月3日)や「気仙郡今泉村風土記御用書出」(安永6年、1777)によると、元和6年、吉田宇右衛門(筑後)が藩祖政宗によって気仙郡の大肝入に任命されている。
 こうして吉田家が気仙郡大肝入に就任することになるが、特に明暦2年(1656)〜延宝3年(1675)〔矢作久右衛門〕と元禄7年(1694)〜宝永2年(1705)〔松坂十兵衛〕の両期間を除き、宝永2年以降は明治2年(1869)に至るまで連綿としてその職を世襲してきた。
 まさに気仙地方きっての名家であり、現在は「大庄屋」(明治3年8月改称)と愛称されている。
 ところで、仙台藩の地方支配機構は郡奉行−代官−大肝入−肝入−となっており、村役人としての大肝入はほとんど世襲制であった。
 この大肝入は代官区内の肝入、検断を指揮し、主として租税の取りまとめと納入事務を司った。
 このほかでは肝入の進退を具申し、郡村の諸経費を割り付け、軽犯罪の処分、庶民犯罪者の下調べを行う権限をも有していた。
 一方、給料として藩より高5貫文の土地、あるいは年金5両が支給され、ほかに3両以内の補助金を区域内から徴収することが認められており、さらには年貢諸役の免除、苗字帯刀御免、絹紬着用御免などの特権が与えられていた。
 さて、大肝入を世襲して来た吉田家には、寛延3年(1750)から明治元年(1868)までの118年間分(このうち寛政11年、文化12年、天保元年の3カ年分を欠く)、合計95冊の「定留」がまとまって残っており、東山南方大肝入の白石家文書と共に双璧をなしている。
 しかも、このような伝存形態は全国的にみても稀である。

文化財情報 一覧大船渡地区 から抜粋

2006年08月24日

「川」災害時を考える

TV「街道行く」気仙街道

隣町、とはいい県外であるが「k市」(昔の仙台から気仙に来る「浜街道・気仙道」沿い)の「川」について気になっていました。お盆のお墓参りに通る道でもあり、両県を跨ぐ道路と平行に「川」が流れている。人、物の流れでは重要な県道でもあり、その「道・川」は、北上する国道45号線のバイパスの長いトンネルを出、最初の信号機を左に折れ、川沿いの道を北に上りながら、川を見ると川上からの土砂の堆積で川が浅くなっているのです。
こんなに浅くなっては、大雨の時には氾濫するのが目に見えています。それに人の背より高い葦萱が生え、(お盆期間中に刈り、トラックで積み出し)確かに普段の流れは水かさが少ないから、良いものの、台風など時化のときに如何すんだろうと思う。行政は自然界をどのように考えているんだろう、河床の堆積物を早急に浚渫できないのか不思議に思う。もし万が一氾濫したときに、川沿いの生活者、耕作者などが被害にあったら、誰が保障するんだろう。道路も川も、市の管理ではなく「県の管理」であろう。

写真 浚渫して埋め立てなどに利用したら、周囲の土取りなどせずに済むのに?




南の地方では、大雨で死者まで出る水害にあっているのに、行政はどう考えているのだろう。どこの行政もそうですが、お金が無いの一転ばりで、議員さん、職員の給料は間違いなく払い、その住民あっての職責なのに、被害が起きたら「国」が予算を付くけど、末端の地方都市などは何とも成らんのが実情なので理解してくれだけで、国は「国民の生命・財産」を守るのが基本なっている法律なのに、それは棚に上げて、銭がないだけでは地方に生活するものに取って、災害に遭ったらしょうがないで片付けられたのでは、「命」が幾らあっても足りない。この日本国は、被害が発生しないと動かないのが「国」信条と思う。人命失われないと対策は立てられない「非情」な考えでは、命などは簡単処理され、運が悪かったなで終わりでは本当に情けない。

写真 普段の水の流れ




土手の堤防を見ると細々と堤防を修理した後があり、普段にそれくらいの河床が無きゃならないのを判って工事されているのだろう。こんなチグハグでは、最小限で被害を食い止められるのを判っていながら、全然動かない「自治」ではないと思うが、他所のことなので余り深入りすると怒られますから、この辺で被害の無い暮らしを望みます。

写真 チグハグ工事全体考えないから出来るのだろう。

この川だけではない、全国いたるところがこのようなところが多く、国が直接管理しているところは良いが、地方はそのときのお天気任せ行政である。
山の栄養水が「海」まで到達せず、沿岸漁業などに大きな影響を考えたら早急にお願いしたいもんだ。
このままでは「森は海の恋人」の発祥地が無くと思う。「H山さん」


2006年03月17日

160年以上前に植えられた「ヒバ」

家の前に生えていた「ヒバ」の巨木(青森ヒバ系)
南側に日当たりを遮る枝が生い茂り、
冬場に庭の雪が解けにくいので、数年前から
伐採を依頼されていましたが
ようやく伐採できることになり、
小春日和の午前中に切り終わる。





気仙の平地には余り生えてない木なので、
160年以上前の先祖が生活井戸の近く、
小川の沢沿いに植えたものです。
気仙で一番高い五葉山(標高1351)には
大きな巨木が多く生えていたとのこと。
また、五葉山は三陸海岸で一番大きな川、
気仙川の源でもあり、歴史的に「気仙大工」とは
切って切れない関係があったのです。




その関係で全国から多くの木材商が泊りがけで
買いに来、今泉が栄えたのですが、今は往時の
面影が消え、伊達藩時代に気仙、本吉郡を
統括した町は、寂れるばかりの今日この頃。
気仙川川口近くの老舗の旅館が時代の波に
勝てず、取り壊しの運命になり、現在解体中です。 
(後日掲載)

写真
2本の左上のところに3箇所の傷がある






眼とおりの直径で、2尺以上の大木でした。
伐採したところ、3本のうちの真中の木に
丁度背丈ぐらいのところに、周囲3箇所に
傷があり切る前から気になっていましたが、
切ってから切り株の年輪を数えたら、60年
前ごろのところの年輪に灰色のところがあり、
考えると第二次大戦の終わりごろ近くの小学校、
港にある造船所などが米軍戦闘機の機銃射撃の
攻撃が激しく、射撃後には薬玉が多く畑など
落ち、子供の頃に拾ったものです。

製材したらもっとわかるかも????

写真
伐採ご切り株の芯のところには蟻に食われ
始めておりやはり切られる運命だったのであろう。
あと数年おくと蟻食い被害が増大して
強風の時などには倒れる危険が大である。

やはり子供の時から眺めた木がなくなるのは寂しい。




2005年08月15日

お墓参り、「杉の巨木2ヶ寺」

14日、お盆の墓参りは朝早いと、余り混みあわずにお参りすることが出来ました。
20年も前から訳があり、我家には2ヶ寺の檀家となり、明治以前の墓は家の回り、畑の端にある古いお墓の3ヶ所を回り、お参りします。




1月27日のブログに紹介した、「日本一の大きい隕石」の落下した菩提寺真言宗智山派「長円寺」と、お墓の南側に連なる峰(岩手・宮城県境)の直ぐ向う、気仙沼市鹿折の曹洞宗「興福寺」と周る、菩提寺のお墓の背後には300年以上の「杉の巨木」1本が堂々と先祖を見守っています。


10数年前に墓地整理をする前は「巨木」の直ぐ周囲までお墓がありましたが、整理で山肌を7〜8m以上も切り下げたので、墓地からは見上げるようになりました。
土葬の時代が長く続いたので、根は半径30m以上も這い、死者からの養分で育っていましたが、墓地整理の時、根を切られ樹の勢いがなくなり、かなり枯れ枝が目につくようになりました。このように丘の上の水分の少ない所の周囲を変えると、自然の変化は普通にはわからないのですが、樹の勢いが謙虚に現れています。






もう一ヶ寺、気仙沼市鹿折の曹洞宗「興福寺」の境内に300年以上の同じ様な太さの「杉の巨木」10本が間隔狭く並んでいるのは寺院もさることながら、圧巻と言うほかありません。地形的に東方向に大きな沢に峰があり、鹿折川に丁度合わさる地点にお寺があるので、地下水脈が豊富なものと思われ、樹の勢いは衰えることは考えられないのである。





長円寺紹介

http://www.sukima.com/12_touhoku00_04/27chouenji.htm


2005年06月02日

「実のなる木」

古老からの聞いていた話で、未だ若木で「実のなる木」
の場合、引き受け手がある時は、声をかけて見るもの
だと、「木」の中で実がなるということは全てにおいて
「幸運」が来ることになるんだと聞きました。(人の口に
入るもを大事にするということだと思います。)






地鎮祭を行なうのに、宅地(現農地)に植えてあった
「梅」の木撤去しなければならなくなり、数本を掘り
起して移植することに、なりました。
それで田舎のことですそこらここらに空き地があり、
声をかけたら、貰い手があり1日掛り掘り起し、夕方
まで、4ヶ所4軒の家に引受けていただき移植が終わり
ました。








移植先の一ヶ所は1970年代,林家の持山の立ち木から
建てた家のそば、約40年前に植えた「メタセコイア」の近くに
移植、毎日眺めていた、メタセコイアは本当に高い木です。

メタセコイア
http://www.chikuho1.com/metasekoia/

http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/gymnospermae/taxodiaceae/metasekoia/metasecoia.htm






林家が持山の「木」を使うのは、当時は余りありませんでした。
もちろん今でも余り見受けられません。
昨年市内に1棟持山の木を使い建てた家がありで
「気仙杉」と有名なのですが、持山を所有している
方の時は、時間は掛りますがなるべく、持山の木で
建てる事を進めております。

持山の木とは、「息子」同じなのです。その木が良いとか
出来が良くないとか言うのは「倅」を卑下することなのです。
何代か前の先祖が後の世代を考え手塩にかけて植え、
手入をしてきたのを、そろばん弾いて高い安いを論じる
べきで無いのです。やはり現世とて、可愛い孫を見ると
どうでも良いと思っていないと思います。やはり孫の行く末
を心配、考えているのは同じと思います。

今は銭が全てだと国中の考えは可笑しいと思います。
目の前にあるものを卑下し遠くから(外国)態々輸入して
建てる愚かさに呆れています。
そして持山の木で建てた家は長い経験が入り、長く住み
続けられのは、古民家を見れば一目瞭然は説明しなくて
お判りになると思います。






 
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