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2011年09月06日

現代棟梁大文語録 十180日目

このたびの「東日本大震災」に際して、
「職人がつくる木の家ネット」
NPO緑の列島ネットワーク」の
皆様はじめ多く方々に御見舞いやら
励ましのお言葉を、そして物資の
ご支援を賜りまして、
終生忘れることが出来ません。 

こころより感謝申し上げます。

ありがとうございました。
 

2011
0125日を最後に書いたきり遠ざかりました
「大工棟梁、田中文男師」が書いたものを続けないと途中挫折では終わりたくありません。出来る限り書き残したいです。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20世紀に生きた大工棟梁、田中文男師が残した“ことば”で印象ある部分を残す。 


 
・・・・・L 女を口説くんだったら半年1年で勝負つくけど、建築っていうのは三百年後のことなんかわかんないよね。それを実際見られる民家はすごいよ・・・・・ 


民家史の体系は今でも出来ていない。地域ごとにまとめないといかんけど、研究者はやらない。その点で、この夏のつくば市の民家調査(平成十年)がよかったなあ。
 

十六棟やったんだけど、つくば市というのは全域で山手線の内側の程度広さでちょうどいい。
これまであっちでやったのと、こっちでやったのと、つなぎあわせてきたけれど。

今度二棟古い
のが見つかって、年代がでたり普請帳でたりしたから、ない資料が埋ままったわけね。

これで
間取りと架構の歴史が書けそう。あと十八世紀半ばくらいのがほしいんだけど。固定資産台帳を見ると草葺が三百何十棟がでた。

それから選んで絞っていきます。
  これで大体近世の民家がわかるかな。大体どういう変化をしたかがわかる。間取だけではなくストラクチャーがね、

部屋を広くするために間の仕切りの柱を抜いて、そのために部材が増え
てくるとか。 それと昔は床の間や押し板がないよね。

それが出てきたことで、農村の暮らしがよくなったのがいつかってことがわかる。框の高い床の間は延宝二年(一六七四)に出ています。

元禄頃には押板はあったと思うんだけど、それい前のにはないよね。また布団がなかった。寝
間の入り口の敷居があがっていて、中には高く敷くようになってたんです。

 
民家調査を始めたのは昭和三十年、、小平の民家が最初です。 

当時農村建築調査会というのがあって、会員は計画系の大学院生や助教授が多かった。各人
が自分で見て歩いたわけです。

何を調べたらいいかわかんない時代でした。それが組織だって
大学でやるようになって研究が進んで、文化財に指定されて修復できるようになった。

初めて
のお金をもらって修復したのが花野井家(昭和四十五年)です。 

昭和三十二年の奈良県今井町の調査が、組織だって町家を調査した最初です。

町家なんてみんな同じに見えるから、どれが古いか新しいかは、 格子の太いのがそうじゃないか、鬼丸はあ
あいうのが古いんじゃないかとか、 そういうメルクマールをいくつか探してやっていくわけです。 

でも当時調査した民家は、後でもう一度調査をやった時にみんな古いほうに入っていました。
   

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ではまた次回・・・・・・・・よろしくお願いします。



posted by kanno at 00:08| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ケセン語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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