シンタックホーム 菅野照夫
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2011年08月26日

169日目「大震災時」の建物

このたびの「東日本大震災」に際して、
「職人がつくる木の家ネット」
NPO緑の列島ネットワーク」の
皆様はじめ多く方々に御見舞いやら
励ましのお言葉を、そして物資の
ご支援を賜りまして、
終生忘れることが出来ません。 

こころより感謝申し上げます。
ありがとうございました
 

この頃頻繁に発生する「余震」と言うか、大震災後の揺れ戻しか・・・・・・・・・・?

 我家は昭和46年(1971年)築、オイルショックの始まりno
馬鹿景気の始まり
時に建てました。

予算もなく目と鼻先に住んでいる「師匠」が引き受けて
くれて
何とか現在まで住んでおり、間取は冠婚葬祭を考え、
畳敷の和室を主体が
当時の考えであり、構造的には「師」の
考えが多く盛り込まれており、勿論我も
それが当然のように
異論もなく当時建てました。

壁が少なく、現在の「建築基準法」
では完全なる「既存不適格」ですが、法が謳う
「耐震改修」
などは行なう気がありません。
 

(余談)丘の上の畑だった所を、機械で整地、
余分な土は斜面に押し出し完全なる
地山だった上に
建てたので、建物の狂いは時々検査していますが狂いや
歪みはない
ので後を継ぐ家族には法的には適合
しないけれど、現法律どおりの耐震改修は
行なわないと
宣言している。

出入りの勿論設計者などにもお金がかからないので
今遣ったほうがよいのではとアドバイスされますが、
行なう気はありません。

万が一倒壊しても国は面倒見るわけでもなく、
被災しても手を貸しでもなく最後は
自己責任であり、
それで命を失っても自業自得です
責任は自分にありです。
 

今回の「東日本大震災」時にも運よく、自宅の作業場で
仕事を行なってたので
発生時から建物の揺れを観測
避難した庭先で屋根から基礎まで観察できた
のです。

我家は海抜35mの所にあり、津波は
此処まで来たら海抜30m以下が全滅である。


我家に上ってくる辺りに市道工事の際貝殻は出た所があり、
推測すると「貝塚」が
合ったのだと地元学の歴史の先生に
言われた記憶もあり、古代人もこのような高い
場所で暮らした
跡ではないのかと思う。

その先生曰く、陸前高田市の貝塚は大体
海抜30m付近に
点在しており、間違いなく過去に避難生活でこの辺りに
住んで
いた確証だと思うのです。(海抜35mは今回1m以上
沈下で後日正確高さが出ると思う)
 それから時代を経るうちに
海から遠い所では暮らしてゆけず、平場に下がり
暮らしてきたのだと
想像できる。忘れた頃に「大津波」来るという口伝が今回も
生かされないのは残念である。・・・・・・・・・・・・・


歴史事実を解明できない
研究者とは本当に研究者と
言いないのではないかと思う。

今朝の新聞記事です。・・・・・・・・今になって気がつくなんて
可笑しいです。
再考して当然であり、卯の上れ研究者は謙虚になって、
国民に事実は懸命だと思うが反論される方がおりましたら
遠慮なく書き込んでください。法に間違いあるという事を
気づくのは工学の使命ではないのか。

と考えますが如何なもんでしょう。平民より「学」があり
国家国民を考える学者なら皆感謝すると思う。









posted by kanno at 10:43| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ケセン語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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