シンタックホーム 菅野照夫
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2011年09月22日

トウトウその日がきました。

このたびの「東日本大震災」に際して、
「職人がつくる木の家ネット」
NPO緑の列島ネットワーク」の
皆様はじめ多く方々に御見舞いやら
励ましのお言葉を、そして物資の
ご支援を賜りまして、
終生忘れることが出来ません。 

こころより感謝申し上げます。

ありがとうございました。

昨日大震災日から。195日目
地元紙「慶弔欄」に相模夫妻の知らせが掲載された。

多くの方々に大変御世話になったが、何とか何処かで生きていてほしかった。方の告知が掲載され本当に亡くなった事実にふれ、なんとも言い難く居た堪れなかった。正月に色々と移り行く気仙の話題で時間を忘れ話し込んだのが目の前に思い出される。
12、歳高の大先輩の死は本当に残念としか
言いようがない。
70歳も半ばを過ぎ郷土歴史、古文書を隈なく調べ書き残した物が、一瞬の内に人の命と同様に太平洋の藻籤と引っ張られて行ったのです。

正月過ぎふらりと立ち寄り、話し込んだのが最後、同級生の天才的努力家、建具職人小泉勉氏 市役所市長秘書を長く勤めた村上真一氏、教師で障害を持った児童丁寧に指導、地元学を丹念に調査した相模洋先生の3人は母校輩出、同級生三羽烏と言われ、小泉・村上氏の小学校から中学までの腕白物語を残してくれとお願いしたのが最後。

取り分け今泉の歴史、仙台伊達藩鉄砲隊については詳しく、町の発展等も詳細に知べあげたのです。時々地元東海新聞に詳細な事実を掲載してくれたがこれから先はもう無く、歴史の詳細は途中で切れてしまうのは残念。

命と同等くらい大事な歴史事実までの消滅は本当に残念の一語。
娘さん2人は遠くに嫁ぎ、家を昭和63年に建てさせていただいたが、それも基礎土台を残したのみ、被災後こんなに海が真近に住んでいたのだと思ったが、もっと海岸から離れて住んだと思っていた。

色々ことを教えいただいたがもう駄目。10月9日盛岡に近い滝沢村に嫁いだ娘さん住む近くのお寺さんで葬儀との知らせ、その葬儀前日から我所属の「木の家ネット」総会前の現地見学会が行なわれる予定であるが、予定をキャンセルしかなくなったのです。往復4時間以上と葬儀となると当日は駄目。

長距離運転はまだ間間ならないのに生前御世話になって旅立つ時に顔を出さないと、もう最後の別れ。会員各位9日は無理です。







posted by kanno at 07:21| 岩手 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ケセン語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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