シンタックホーム 菅野照夫
   にほんブログ村 住まいブログ 伝統工法住宅へ にほんブログ村 にほんブログ村 住まいブログ 大工・職人へ にほんブログ にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅へ にほんブログ村

2009年06月24日

「石場建て工法」の構造材

10年以上前に解体された茅葺民家の構造材、半分雨に晒されてきたので白太部分を削いで利用しないと、持ったいないので、倉庫から出して土場に並べた。
赤身部分は全然腐食していません。白太部分は完全に腐食しているので皮取で削り取る以外はなしです。育ち時にしか用がない白太部分は駄目です。
その上、水が大好きなものだから、寝かしておいても水を吸うのです。


2501.jpg


現代工法以前のつくりは丸太に斧で面をつけて、それで木ごしらいは終わりであり、製材のない時代ですから、現代とは発想が違うのは当然です。
茅葺民家つくりの先人は、現在のような基礎ではなく楕円形丸石に柱を建て、太めの桁梁を吟味しているので、柱が石場から浮いても当たり前だというのが根本にあり、コンクリートで硬めに作るより、木材を2割3割若しくは倍以上に分を増しても大丈夫なようにと考えですから、有るがままで、良ししたのです。


2502.jpg

現在のように硬めに作るなんてとは180度、考えが違うのです。
現代は姑息な考えの上で考えるのだから、屁理屈が先で混乱をするのであって、「木なり」につくるのが一番なのです。
構造計算で建てられた民家なんて恐らく歴史上1軒ないだろうと思うのです。それを法がどうだこうだなど後からつける理屈は研究とかなんとかいう看板の方々騒えでいるだけでないのかと思う。


2503.jpg


この古材は建物1本通し材なので、現代の道路事情で12m以内に切 運んだので短く見えるのです。寸法断面2尺角材など全てが大きな材料です。
現代工法の穴寸法3寸×1寸とは次元が違い、巾が4.5寸×3寸と大きいのには5寸×4寸などと、荷重を考えると当然というか当たり前につくられ、100年以上の前の材の再利用が出来るのであって、計算軸でつくられるのには、未来に再利用などは考えていないからであり、このように先人が残したものには付加価値が高いのは誰が見ても判るのではないのか。


2504.jpg


だから、この時代伝統構法は「総持ち」だと考えるのが普通であり、計算ばかりして仕事が捗らなかったなどいうのは先人の中にもあって施主は苦笑いして眺めていたなどという笑い話も聞いているが、頭の優秀も使いようなのだとも聞いたのです。
1年前の「岩手宮城内陸地震」の時、木造の建物の壊れ方が少ないというのはこのような部材で固めて有ったからであり、神戸の震災とは作り方が違うのだというのがわかるのでないのか。


2505.jpg


当時マスコミの報道は柱が太いからだとも言っていたが、「桁梁」を吟味してこそ、あのような大きな地震にも耐えたのではないか。「岩手宮城内陸地震」の調査に着た方々のコメントが少ないのも反論できる素材がなかったということでは無かったのでないか

posted by kanno at 13:51| 岩手 ☀| Comment(0) | ■ 伝統構法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

続「社説」 0621朝日新聞

昨日の続き

伝統木造構法―匠の知恵を地震列島に 


 一方、伝統構法は自然には勝てないとの考えに立ち、地震力をやり過ごす柔構造に工夫がこらされている。
 柱と横材でジャングルジムのような立体格子をつくる。地震の力をその構造の中に受け入れ、揺れながら分散し吸収する。土壁は揺れを抑えるが、限界を超えたら壊れて衝撃力をそぐ。
 予想を超える激震に襲われたら、石の基礎の上に置くだけの柱脚がずれたり浮き上がったりして、地震の揺れが地盤から建物に伝わるのを遮る。
 「石場建て」という伝統構法の最も重要な特徴だ。伝統構法による民家や神社仏閣はほとんどこの建て方だ。
 ところが委員会では、「石場建て」による設計法が見送られそうな流れになってきた。大工棟梁たちは、伝統構法が現代構法のなかに組み入れられてしまうのではないかと危惧(きぐ)している。
 「石場建て」はすでに関西では認められた例もある。国交省は振動実験などを重ねてその設計法をつくり、各地で建てられるようにしてほしい。
 伝統構法の民家は、地震で傾いても接合部に大きな損傷がなければ引き起こして修復できる。崩れ落ちた壁土も再使用が可能だ。大地震をしのいで、いまも使われている築100年を超えた民家も少なくない。
 地震列島で大工や左官が培ってきた技に謙虚に向き合い、その匠(たくみ)の知恵を生かしていきたい。

■伝統木造構法―匠の知恵を地震列島に・・・・・・社説終わり


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この記事書いた記者はどれだけこの問題を追及されるのか。今後が楽しみです。

大学などの研究者という看板の方々の動きを見ると、灯台の狭い角度の灯りが、何処を指して標準としているのか?ホドント方向が見えません。

考えられるのは、大地震で倒壊したことの原因は「伝統構法」地震に弱いのだ一辺等のコメントだけです

地震被害ホドントが終戦後のバラック建て建物が大半を占めている、雨露を凌ぐのが精一杯で建てた建物は被害に遭うのは当たり前のことなのです。

現在、法律が厳しくしても、依頼者の予算とそれを上手く甘い汁を狙う大手ハウスメーカーなどが、現場職人を虐めるため、目に見えない所で手抜きが起きており、大手が儲けるためには現場の仕事に詳しくない現場員に大きな問題がありではないのか。


作り方が詳しい職人は言われるがままの指示で作業しているのであって儲けることにしか頭が働かない、我利我利亡者のど派手な形・色に引かされる建て主だって手抜き奨励の後押ししてるのは同罪ではないのか。



posted by kanno at 10:23| Comment(0) | ■ 伝統構法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

「社説」 0621朝日新聞

現在の住宅・家つくりは、色や形の派手な薄ペッラな家造りに感化されてきたが、もっとも大事な部分が、国民に取って忘れ去られようとしている。

古来からの木組構造「柱・小屋組み」など骨太のつくり、所謂木造建築・・・・・・各々が暮らし地方・地域の日本人が育んできた伝統構法が。

大きなピンチ、岐路に晒されているのです。


当たり前に、目の前の「近くの山の木」で組む民家工法(伝統構法)が、基準法の大改正で厳罰法に変り、超高層ビルと同じ土俵に上げられ、トンでもない方向に行く嵌めになった

この世界で暮らし木を刻む「大工」初め、土壁の左官、その素材の林業関係者までが身動きが取れなくなったのです。

そこで国もこれでは遺憾と気がついたらしく、2008年4月から3年間を掛けて

「伝統的木造軸組構法住宅の耐震性能検証実験」


が行なわれ、2年後には使用できるようになると言うことです。

如何せん、弱小な大工・工務店には政治献金も出来ず、ハウスメーカーの餌食となり、ボロクソになるまで叩かれ後継者も育てられずにいるのです。

己らの選挙の時だけは地方の声を国会に届けるなどの言葉に乗って投票しても、選挙が終わると、後は野となれ山となれでは「オレオレ詐欺」より手が悪い「大ペテン師」の話では地方などは良くなるなんて言うのは「嘘八百の話」です。

まもなく解散総選挙だが、本気にやる気の議員を選ばないと最後にバカを見るのは一生懸命働く我々だ。

昨年から色々な方々、関係者の努力が実を結び、議員・マスコミ等に働きかけた結果、漸く3大新聞の1社が「社説」で取り上げてくれた。今日6月21日朝刊「朝日新聞」3ページの「社説」に掲載してくれました。

その内容

伝統木造構法―匠の知恵を地震列島に 

「蔵のまち」で知られる埼玉・川越で、大工棟梁(とうりょう)の綾部孝司さんは「伝統木造構法」の家づくりを手がけている。だが2年前、耐震偽装事件をきっかけに改正建築基準法が施行されたため、その構法を施主にあきらめてもらうケースも出てきた。
 改正基準法が、伝統構法の住宅にも高層ビル並みの厳しい審査を求めているからだ。
 建築確認の手続きで、第三者機関などで構造計算が適正かどうか判定してもらうことが義務づけられた。「ピアチェック」という仕組みだ。費用がかさむうえ、複雑な構造計算やその審査に半年以上かかることもある。
 綾部さんは「施主に余分な負担をかけるわけにはいかない。このままでは伝統構法が廃れてしまう」と嘆く。
 そんな切実な声を受け止めて、国土交通省は昨年度から伝統構法の設計法づくりに乗り出した。大学の研究者のほか、大工棟梁らも加わった委員会で、3年がかりで計画を進めている。
 木造の住宅を建てる際、ハウスメーカーの大半が採っているのは在来軸組構法だ。その現代の構法では合板や筋交いを使って壁の耐力を増し、揺らさないように造る。壁量計算という手法で容易に基準法をクリアできる。
 現代構法の根底にあるのは、人間の技術で自然を克服しよう、地震力を技術で押さえ込もうという発想だ。・・・・・・(後半は続く)
posted by kanno at 19:38| Comment(0) | 伝統構法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

明治の「ものつくり」碓氷第3橋梁−2

国道から見上げる碓氷第3橋梁、しかしその橋梁上に人影が見えるので周囲で聞いたら、坂がキツイけど上れますとのこと。
ここまで来て見ないのもしゃくに障るので行ってみることに、・・・・・・


00041.jpg

軽井沢側にも数台の見学の車が並び、皆ビックリしているではないの、何処から眺めても素晴らしいの一語、やはり来たかいがありました。

00042.jpg

登り坂は丸太のスベリ止めで出来た階段、息をハズマセナントカ上ることが出来た。下から見るのも良いが線路がない跡を歩くのも又格別です。何人かが下の景色や周囲の緑がまた一段と良く、さわやかの一語・・・・・・気持ちがいい。

00048.jpg

欄干の手前には、色々な説明写真が掲げられ、見ないとこの橋のいわれが判らないので読み、デジにとパッチリと建設中に試運転列車の記録写真100年以上前の先人の姿に色々と考えらせた。口で言えない苦労を思ったのです。


00044.jpg

工事中線路敷設を見ると、姿には着る物が違うだけで現在の働く方々と同じだったのだと、作業着などには各々の個性がにじみ、毎日が大変だったのだと思うのです。
00043.jpg
posted by kanno at 19:59| Comment(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

「八ヶ岳」南面集落の佇まい

木の家ネット事務局を訪た際道路を間違い、行き過ぎたところに日本の原風景に出会い、ゆっくり見学させていただきました。

002.jpg

「長沢」集落、本当に住むところとしては今でも最高のところではないかと思ったのです。
写真に写った風景、水が豊富で田んぼあり、畑も、そして山あり、緑が一杯長閑(のどか)の一語です。


007.jpg

向かい側道路から見下ろし集落風景は「平屋建」の民家が多く、中には大きな2階建てと聞くところによると、残念なのは「無住」・・・・・・・大きな家に住むことの難しさも痛感、皆、里に下がり、空き家が目立ちのが本当に残念。

001.jpg


茅葺の大きな古民家の桁行足計で26歩は26m×妻行13m、のとても大きな家でした。・・・・・(2対1の大きさ)とても棲むのには大変だったらしく庭先に別棟でおばあさんが住んで居たそうでしたが亡くなり今では完全に無住・・・・・・残念・・・その集落の佇まいは本当に静かなところでした。

042.jpg

つくりの特長では土蔵の屋根骨組みには、この地域独特の作り方があって、「棟束」を安定させる工法でつくられているのです。土蔵の上に置かれているだけの仕掛けですから、工人苦心して考えだされたのだと思う。母屋受け材(赤松の根曲がり)を対にし束を転ばさないように収めていたのです。

P1000153.jpg
posted by kanno at 07:01| Comment(0) | 古民家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

明治の「ものつくり」碓氷第3橋梁−1

022.jpg

昭和30年代後半、我まだ大工見習い中に読んだ新聞記事、当時の国鉄碓氷峠線(信越線)新路線が完成、列車の速度がアップになると言う記事を読んだのを思いだした。
http://www.gijyutu.com/ooki/isan/isan-bunya/usuisen/kyouryou/kyouryou.htm

021.jpg


新線に切り替わり、明治につくられたトンネルや橋などがそのまま残り、レールのみが撤去された状態で現存されていると知った。いつか明治の先人の造ったものを近くでと思いつついたのが、過日、軽井沢から国道18号線を車移動のとき、運よく「第3橋梁」(通称めがね橋・国指定重要文化財)に立ち寄り見学する事が出来た。

024.jpg

松井田側に車を止め、木立に囲まれて道路から見上げる姿は威風堂々圧巻、凄い・・・・現代のように便利な時代とは違い、運ぶとは行っても馬車が最高の運搬手段、好くもこのような巨大施設をつくられたもの・・・・。

023.jpg

説明書を読むとこの第3橋梁にレンガだけでも200万個以上が使用されたとの事、容積計算でも2520立方mその他の材料、セメント・砂と、仮設足場丸太などとうほうもない資材、それを工期3年で完成させたと言うのだから、明治人の馬力にはただただ頭が下がる。・・・・(続く)

028.jpg
posted by kanno at 14:05| Comment(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

根継ぎと石場建て工法

木造建物は築100年辺りになると柱の根元の腐食が大きくなり、どうしても修理しないと永らく持たなくなり、そこで先人は色々な継ぎ手を考えだして来たのです。

009.jpg

今回の継ぎ手は大阪城・大手門柱を大正12年に継いだ、「石浜組」の創業者「石浜太郎平」の手によって補強修理されたのを、この地大工が当時解明されてから、門柱修理に使われたのだと思うのです。4面柱の対面は「蟻継ぎ・殺継ぎ」でつくられ、長い間謎とされて来たのですが、60年ぶりにX線写真で解明されたのですから、その後、今から26年前昭和58年以降に修理されたものだと思う。

008.jpg
http://www.yokattanaka.net/castle.html

現在、国は伝統工法を法制化すために各種の継ぎ手などの「要素試験」を行なっているが、研究者は建築基準法の「バラック工法」の流れを組むため、大工が伝承してきたものを認めないよう屁理屈を考え出して、論戦している真っ最中なのです。

012.jpg

とにかく地震に「伝統構法」弱いの一点張りにはどうしようも無いのが現実、邪まな考えで行くと、大工らに文句言われるのが、大変プライドに傷つくらしく、材料が「木」だということが本当に難しいらしいので、とにかく一律にしないと、設計者が困るのでとにかく数値化にしていくのが自分ら、研究者や学者の考えが本音のように見受けられるのです。

011.jpg


どんなに学問研究が優れても木組みの建物を造ったことがない方々なので、何かを問われても頭の中で考え、抗弁でしか対応ができず我々「ものつくり側」からは、国家そして、木を使って建てたい国民の為に不幸としか言いようがないのが現実だ。

010.jpg
posted by kanno at 13:52| Comment(0) | ■ 伝統構法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

奈良時代からの「石場建て工法」

奈良・薬師寺『講堂』、再建するため工事中に見学の時でした。現場工事責任者が1000年以上も経た歴代の工法の経過を説明してくれた。創建当時の石場石の加工は、凸そのままダボ工法で作られて、加工が本当に大変だったと想像されるのです。

n015.jpg創建時

礎石の真ん中だけ残しことはそれ以外の周囲は全部水平に削り取らないといけなかった。それはそうしないと建てた柱が横すべりの時などを支えるために施工せざる以内のです。現代のように工具が発達した時代とは違い全て「手加工」が当たり前。

n011.jpg時代の移り変り

でも時代変化と共に、考え方に少しずつ変化したのだと、修復時に柱の入れ替えなどでどうしても礎石交換などで、ダボ工法は手間が掛かるためか省かれ、ダボなしの時代もあり石を加工するより木の加工の方が、手間が幾らも掛からないと判断され、逆に礎石に凹穴を掘る方が全ての面で良いと判断され、柱加工の方に時代変化したのが現代の木の土台入れる方向に変化してきたのだと、確かに鎌倉時代あたりに来るとお寺には土台が多く見受けられるようになったのだ思う。

n016.jpg時代経ると穴開けた工法、雨が染み込む欠陥が???

このように創建時の良さは時代変化と共に工法にも極論で、加工手間を省くのは現代も同じ、木材の高い時代に発展した「筋交工法」なども、手間が掛かるのと材料が高いため代替え工法・新材料などが出てくるのは時代が要求するので合って、住宅の石場建て工法にしても、国の考え次第では、大量供給を考えるといつもその時代時代の世の中の風が変化しているのだと感じた。確かに「湿度・白あり」等を無視した現代工法の住まいつくりは超寿命建物には絶対ならないのだと、歴史が無言で警鐘ならしているのかも知れない。
n014.jpg水平に加工した礎石
posted by kanno at 05:42| Comment(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。