シンタックホーム 菅野照夫
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2007年01月31日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「ほの五」

山を歩き刻んで建てて分かった
 目詰んだ丸い年輪の木の強さ。

■教えも鵜呑みにしてはいけない


 私のところでは、製材するところを必ず弟子にも見せます。見せて「この木は、背がどっちで腹がどっちか、北はどっちかわかるか」と聞く。すると、たいてい芯が寄っている方を北とみなすんです。東西南北だけで計ってしまう。

 しかし、それだけでものを計ったら、あかんのです。それは間違いの元。
木というのは、自分の生えている石とか水たまりとかそういうのを避ける。たとえば南に大きな池があると、木は北か東か西のどっちかへ伸びる。そうすると芯が寄ってくるわけです。人間のように悪い物でも食べるということは植物は絶対しません。木は賢いんです。人間のほうが愚か。植物のほうが利口なんです。

 だから、「北向きの木は北に使え」という教えを鵜呑みにしたら、間違うこともおこる、というんです。木は立っている状態や土壌とか気象の状況によって1本1本、年輪がちがってくる。こうしたことが分からないで「北向きの木は北に使え」なんて鵜呑みにするな。 

この言葉は、木のことを十分に知ってこそ通用する言葉なんだ、と。

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この考えに別のご意見があるかたは、コメントをください。



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2007年01月30日

日本のかまどアフリカに普及

竃(かまど)とは「なんぞうや」・・・・・・・・・・・我が家でも昭和40年代まで、生活の必需品として使われていた。・・・・・・懐かしい。

今あるとすぐ裏山から杉の葉は集めて火を焚くと、小豆など時間を掛けて煮物などする時には重宝だったんですが、生活の便利さが優先され、石油の安かった時代に、自然消滅して行ったのである。

その「かまど」を、アフリカ在住の岩手県人が「かまど」つくりを現地指導していると、新聞が報じている。

内容の一部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かつて日本の台所で温かな湯気を立てていた「かまど」。国内ではすっかり見られなくなったが、日本人がそのかまどから着想を得て作った土製のかまどが、海を越え肌の色の違う人々の暮らしに根づき始めている。

岩手県出身でケニア在住の食物栄養学者、岸田袈裟(けさ)さん(63)がもたらした“日本のかまど”が、赤道直下の国、アフリカ東部のケニアの台所に登場して12年になる。「エンザロ・ジコ」(ジコはスワヒリ語で「かまど」)と呼ばれ、ケニアの主婦の家事労働を軽減するのに一役買っている。これまでに10万世帯以上に普及したという。

 かまど作りは、岸田さんがケニア西部のエンザロ村で1994(平成6)年に始めた。ケニアをはじめアフリカ各国の村落部では、3つの石で鍋を支え薪をくべて調理する方法が一般的だが、一度に1品しか調理できないうえ、石の隙間(すきま)から炎が逃げ熱効率も悪い。

 また、「薪が惜しい」と、飲み水は川の水を煮沸せず、そのまま飲むため、乳児が下痢をし、衰弱・死亡することは珍しくなかった。

 「生活のあらゆる問題は台所から解決できる」と岸田さん。少ない薪で調理すると同時に水を煮沸するにはどうすればいいか。1軒ずつ勝手口から台所を訪ね、鍋からつまみ食いをしながら現地の主婦に意見を聞き、考えた。そのうち、かつて郷里の実家の土間にあったかまどのことを思いだした。その原理を応用して、中央1カ所に薪をくべ、鍋や水がめが3つ同時に加熱できるかまどを考案した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後は新聞記事で)




銭社会になってしまった「日本国」は銭の使い方を知らないで、戦争をしている国に「国民への借金」を湯水のごとく、世界の安定という名目の援助、その銭に群がる大手商社を肥大化させている。

もう好い加減に、銭での援助を切り替えて、現地の方の生活改善に寄与する方が地球資源の無駄を省くことになると思うがどんなもんだろう。もっと国ができる食料生産含め、根底から考えを直さないとこれから益々、借金が増え、次世代を貧弱にさせるのが目の前に来ていることに気がついてもいいんじゃないの。・・・・・・・・・・・・・・・

{銭の我利我利亡者の国民殿}世界に貢献するんだったら、「知恵」の貢献の方が世界から喜ばれんじゃない。

気仙方言の例え

・かま土ケッーヤス・・・・・・・竈全部壊すの意味、そこに居られなくなる

・かま ケッーヤス・・・・・・・土が残るから再興できる、んだど



2007年01月29日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「ほの四」

山を歩き刻んで建てて分かった
 目詰んだ丸い年輪の木の強さ。

■吉野材が良材といわれる理由がある


 なぜ、吉野材がいいのか。それには理由があるのです。それを知ることは、強くて長持ちする木材を選ぶうえで大切なことです。

 私は、吉野の山をあるくたびに「よくもこんなところで木が育つな」と感心する。吉野の川上とか東吉野の一帯は表面の土は30cmくらいしかなく、その下は石ころで水が流れている。そこは冬が寒いから凍る。気温があがって木が水を吸い上げる時期が遅い。だから目の細かい、繊維の強い木ができる。
 まさに「大地は母なり」です。

 じつは、それだけではない。吉野では年輪幅を細かくして強度と耐水性のある木材にするため植林のときから密植して、間伐まで計画されて育てている。その間伐も悪い木だからといってドンドンに伐ってはいけない。たとえば北側の広く南側が狭いように伐ったら、残った木は北に年輪幅が広がる。まんまるの年輪にならないのです。
 残す木の周囲を均等に伐って初めてバランスのよい年輪幅になる。だから良材といわれる。


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2007年01月28日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「ほの三」

我町「陸前高田市長選」いよいよ今日28日告示、果たして「吉か凶」
2月4日まで巻末に掲載


山を歩き刻んで建てて分かった
 目詰んだ丸い年輪の木の強さ。

■木の善し悪しは製材したときに知る


 こうした木の善し悪しは、製材したときに分かります。
繊維の弱い木というのもある。硬さはあっても弾力性のないものもある。
これらも構造材に適さない。
製材するところをみないでは、木の強さ、弱さは分かりません。

 私の経験上では、吉野や丹波のスギやヒノキがいちばん構造材に適していると思うのです。
私どもが使って、平均に安定しているのは吉野・川上村のヒノキ。
どれを使ってもまず失敗はなかった。
 最近、床下の足固めには、この川上村の木を使っています。
とくに水位の高い湿気の多いところは、これを使う。



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2007年01月27日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「ほの二」

山を歩き刻んで建てて分かった
 目詰んだ丸い年輪の木の強さ。

■長持ちする木が分かった


 そこから数寄屋建築の勉強を始め、
全国の山を歩き木を訪ね、製材現場を訪ね、
自ら刻んで建ててみて、ようやく分かったのは
細い柱であればこそ長持ちさせるには、
なるべく細かくバランスのとれた年輪幅をもった、
目の詰まった真ん丸の木を選ぶ必要がある、
ということです。

 それは、スギやヒノキは冬目と夏目の強さが違うから。
夏目は弱いんです。
年輪と年輪の間ですね、そこがやわらかい。
だから、夏目の部分の大きい木は弱くて、
腐りやすい。目の詰んだ木が長持ちする。
冬目と夏目のバランスの悪い木も割れやすい。
いけません。目が細かくて強そうだと思っても、
いざ割ってみると簡単にスパッと割れてしまう木もある。
こういう木は構造材に向かないんです。


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2007年01月26日

今が「最高に旬」寒鱈・1匹「2007版」


2005.01.29にも掲載、やはり今頃の季節です。

何時食べても美味しい「鱈」、今年も丸々と太った「寒鱈」が来ました。
大きな鍋で1度に調理し、食べる度に何度も煮たてて大根・豆腐に味が染みたのを食べる。





オスの鱈なので、「白子」(精子)が一杯入っています。
熱湯で湯通しして冷水で締めて、刺身です。
これで、股下が元気が出るワイ。
へへヘェーですわ。
全部食べると悪いので、半分は鍋へ。




3枚おろしで開きました。下側が骨付き骨の部分だけは
大きく切って鍋へ、この魚は捨てるところはなく
頭・皮・尻尾まで全部鍋に入れるので、煮ていると
骨から身がハガレテ骨をしゃぶったのが廃棄されるだけ。




片枚は刺身、後の片枚は鍋へ、
白身魚を裁いた後は
急速冷凍で身を締めてから食べる。
なぜかこの魚は、身に締りがないの、

仕事でも
「タラタラ」してるの、語源からきてるのかもしれない。




大根・豆腐・人参・葱は絶対入れなきゃ「鱈汁」にはならない。
味付けは味噌か醤油でどちらでも良いが後は調理人しだい。

今夜も、苦い水がはかどるワイ。
旨かった。・・・・・・・・・・・・・




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2007年01月25日

名棟梁・砂田亀世作 2

2月4日まで我町の「市長選」を巻末に掲載

06.11.10掲載ブログの続き

気仙大工の「名棟梁・砂田亀世」作の土蔵だ。
この土蔵の凄さは、これでもかという「なまこ壁」の意匠だ
壁の大きさに対するデザインと見たときの重厚さに圧倒される。




狭い所での撮影なので、広角レンズの歪みで今一だが
「なまこ壁」の数種類を使い、長く飽きの来ない形には
今でも新鮮な響きがある。また何時までも見ていたい。




角度を変えて見ても、その凄さにはただ驚くばかりだ。





posted by kanno at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「ほの一」

2月4日まで我町の「市長選」を巻末に掲載

山を歩き刻んで建てて分かった
 目詰んだ丸い年輪の木の強さ。

■足場丸太のような細い木が250年持つ


 木造の建築や住宅で、いちばん重要なのは木材ですね。強くて寿命の長い構造材に適した木材を知り、選ばなくてはなりません。まして、細い柱にホゾを貫き、100年も、何百年も持たせようと思ったら、どこの木が強いか、それを知ること。これほど大切なことはありません。

 茶室の柱は、3寸にも満たない直径2.7〜2.8寸と細いもので、40〜45年しか生きてこなかった木を使うのです。私は23歳のとき、京都・仁和寺で重要文化財の遼廓亭(りょうかくてい)という茶室をみてほんまに感動した。足場丸太のような、細い木が延々と250年も生き残っている。「こんな細い柱の小さな建築が何百年も持つのはスゴイことだ」と。


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2007年01月23日

口伝を書いた「某棟梁」のことば 「にの七」

鉄もセメントも樹脂も
木の天敵なんです。

■基礎石もその種類を選ぶ


 じつは、その基礎石はなんでもいいというわけにはいきません。
川石は水分を吸い上げるので適さない。
いいのは花崗岩(かこうがん)です。

 その花崗岩も韓国のはダメ。
やはり水分を吸い上げる。
中国産はいい。
それも全部じゃない。
3カ所ぐらいです、いいのは。
日本では瀬戸内海の島とかその周辺。
花崗岩で出来ている。
それも地下にいくほど硬く適している。

 いまの石は水圧で切るので表面がツルツルしている。
最初これをそのまま使っていたんです。
しかし花崗岩でもこうしたツルツルの石は水分を吸い上げると分かった。
そこで石を叩いてみた。
昔、大工や石工がノミをつかって石を叩いていたのを思い出して。
すると水分を吸わない。
叩くことで表面にわずかな空気層ができ、これが水分を木に伝えないのです。


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2007年01月22日

虚像TV・一億総白痴化

今の日本、マスコミの狂言は、公共放送TV、民間放送TVを問わず国民を「一億総白痴化」にする「麻薬」と同じである。
視聴率を稼げるスターを登場させ、恰もそのスターに酔い「虚像」が「実像」のくらしだと勘違いする行動「納豆騒動」を見て「一億総白痴化」の「麻薬」患者を育てていると同じである。


「一億総白痴化」を語った「大宅壮一」(巻末に意味を記載)

「朝・昼・夜」と寝る時間もなく出てて稼ぎまくっている。「辛口」で評判の「○○もんた」なども、我々の建物分野の「CM」に出演しての「CM」にはガッカリ以外の何者でもない。
中味も知らず「ペテン」の話に乗っかっての行動は「社会性」の欠けた行動、自分の私腹を肥やしためと受け取って間違いないのである。それで国家と国民を語るなどは「マスコミ」という関係者の「一億総白痴化」の「麻薬」患者の拡大に寄与していると同じではないか。
先ずは信用しないと決めないと「TV」からの情報ネタなどはヤラセが大半であり、子供から大人まで「TV」の時間を消す運動するしかないんじゃない。


ペテン・嘘つきに振り回されるなんて「TV」のない戦中などは「新聞・ラジオ」を牛耳る「軍部」が国家と国民を変な方向に導いたのも「法」+「鉄砲」=「報道」というもので洗脳されたのは実であり、現在の「IT」も簡単に世界を「総白痴化」する可能性は大であり、それを冷静に見つめないと、この地球が自爆する可能性が益々高くなるような気がする。でも人間の「男・女」もペテン・嘘つき上手い話には良く酔うもの「人間界」が存在した時からのシガラミなので、気がついたら後の祭りで、現在まで来たのである。


我々の建物つくりも、誰でも簡単に作れるのの法律によって、日本と言う国の自然形態を無視して、北は北海道から南は沖縄まで、中央官僚が統率できる法をつくり、そのことで謳歌する大手ハウスメーカー。
資格を取得すると自己中心に陶酔した「絵」を描き、住宅を作らせ後は自己の功名だけを売りにしている輩と、巨大なマスコミを利用して建物つくりの広告報道による洗脳は、「虚像」を「実像」と思わせての世界、人が住む入れ物が悪かったらそこから出てくるものまで、「虚像」が作り上げたと言ってもよく、CMを収入としている「マスコミ」による、社会の堕落の助長が、今後益々過激な「虚像」番組つくりとなって行くと予想されるのであるのが「TV虚像・一億総白痴化」はTVの出現時に、評論家「大宅壮一氏」の予言どおりとなって来た感がする。




(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)より


大宅 壮一(おおや そういち、


1900年9月13日 - 1970年11月22日)は、戦後の日本を代表するマスコミ人、ジャーナリスト。毒舌の評論家として有名。
大阪府三島郡富田村(現高槻市)の醤油屋出身。18歳の時、米騒動に際して民衆蜂起を支持する演説をおこない、旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)を放校処分となる。専検(旧制中学卒業と同等資格)に合格し旧制高等学校入学資格を得て、第三高等学校に入学・卒業し、東京帝国大学文学部社会学科中退。
太平洋戦争(大東亜戦争)中の1941年(昭和16年)には海軍宣伝班としてジャワ作戦に配属された。その際、同じ班には詩人の大木惇夫や漫画家の横山隆一がいた。その後、大木はこの時の経験を基に詩集「海原にありて歌へる」を出版し、その際に大宅が跋文を書いているが、その中で「戦争といふものは実に素晴らしい文化的啓蒙者である。」と言い放っている。
無思想人宣言でも有名。節操も無く、是々非々であらゆるものに噛み付く一言居士が彼の真骨頂。ユニークな造語も多く、「駅弁大学」「恐妻」「一億総白痴化」「口コミ」「太陽族」「男の顔は履歴書である」など現在でも使われている。
彼の蔵書を元につくられた「大宅壮一文庫」は、雑誌の図書館として、知られている。
墓は鎌倉の瑞泉寺にある。
1970年(昭和45年)から彼の名を被せた大宅壮一ノンフィクション賞が毎年気鋭のノンフィクションに与えられている。 ジャーナリストの大宅映子は彼の三女である。


「一億総白痴化」当時の意味

元々は、1957年2月2日号の「週刊東京」における、以下の詞が広まった物である。
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」



この詞は、当時の流行語にもなった。大宅壮一がこの記事を書く動機となった物が、三國一朗氏が司会をする1956年11月3日放送の日本テレビの視聴者参加番組『ほろにがショー 何でもやりまショー』早慶戦シーンであるとされている。これにおいては、出演者が早慶戦で慶応側の応援席に入って早稲田の応援旗を振り、大変な騒ぎになって摘み出される所を大宅が見て、「アホか!」と呟いたという(大宅壮一の三女で、現在ジャーナリストでもある大宅映子の談話より)。


又、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。ここでも、作家の松本清張が、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べているようである。


このように、彼らのような当時の識者たちは、テレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には、書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと考えられる。
書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、その為には文字が読めなければならないし、内容を理解する為に自分の頭の中で、様々な想像や思考を凝らさねばならない。これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れて来る音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させる、といった事を指摘しているようである。





posted by kanno at 10:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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