シンタックホーム 菅野照夫
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2006年10月31日

商標登録・気仙大工「槌蔵の家」・完成・・・1

10月末までトップ掲載します。

そして「職人がつくる木の家ネット」に「暴露されました。(気仙大工)

気仙杉100%の小さな家を作りました。(広さ72.6u)
法的規制が緩和されている街中に、「高齢者に優しく」、しかも「省エネルギー」、「気密・断熱住宅」です。
(高気密・高断熱は疑問が多いので無理をしないことがテーマです。)

写真 外観3.5×6.5間 瓦屋根 北面




暖房はFFファンヒーター1台で全室を暖房、北国としては余り無理をせずに過ごせることを目標に、骨組みである構造材(気仙杉)は、部材を少なくして共通部材でクリアー、壁は板倉工法(特許取得済)の壁強度は4倍までゆきました。(秋田県立大学・木材高度加工研究所 鈴木有教授との共同実験の結果)

写真 玄関外1坪プローチは木タイル張り





内部建具もオール気仙杉、玄関戸木製ペアガラス(組子入り)と、内部空間は窮屈なスタイルにせず、無理な間仕切りもせず、桁梁上は全てオープンです。それによっての暖房効果を発揮したのです。

写真 小さな家のワリに広い玄関内部1.5坪




もちろん床下も部屋と同等に作りました。廊下の床なども杉板の儘です。ただし「植物塗装」仕上げをしています。和室は漆喰壁で仕上げ、部屋の明かりも自然光を多く取り入れ、外が明るいうちは部屋の明かりはなるべく頼らないつくりにしました。

写真 8帖の茶の間・流しはオープンです。




キッチン周りなども、見た目を気にせず、収納などは軽いキャスターを取り付けしかも、常に使うものはすぐに目の届くように工夫したので、住む高齢者にとって優しくしたのです。もちろん新建材や色々と身体に障害なる化学物質が発生しないよう、施工事から気を配りました。

写真 化学物質の建材は排除したキッチン


興味のある方の質問は「メール」にて受けます。

ただし、必修、メール・住所またはTEL番号は記載してください。無き時は削除します。

info@kesendaiku.com


posted by kanno at 12:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

商標登録・気仙大工「槌蔵の家」・完成・・・2

小さな家の中で、生活動線スペースとして約8%の面積の中廊下は決して狭いとは思わないが、余り長いと窮屈になり、ましては建物の真ん中をため、外の光は屋根からしか取れず玄関内と合わせて占有面積は14.7%です。また収納スペースは17%を合わせると31.7%約3分1である。

写真 幅芯寸3尺は、壁にさわりながら移動が出来る。




玄関から中廊下を通り、1日の大半を過ごし茶の間・台所は同空間とし、無駄なもの一切取り省き、少ない動線を確保したのである。2人で過ごしには、広い空間では無くても目の動きからは、どこに何があるかがわかり、歳と共に記憶が薄れるのをなるべく解消しようとした。建物面積の中で約31.8%と3分1を埋めるのである。

写真 茶の間8帖・台所6帖、間仕切りなしオープンスペース




建物の向きも南東のため、茶の間への光が冬場の日の短い時にも、日没まで妻側の棟木の下のFIXから隣室まで指しのです。コタツを囲む部分は畳敷き、壁の周囲は物を置くことが多いので板張り、最低、座をする部分に畳があると、高齢者は安心するのである。畳などメンテナンスも4枚であれば維持費も余り多く掛らず、素足で歩く部分をやさしくしたのである。

写真 障子の左が南東方向、右側、小屋上ペアガラスから冬至でも夕日が射し込む




2間続きの和室、中廊下・洗面水周りの明かりは、1箇所の天窓の明かりから1日中差し込むのと、また時々開放することで中の空気まで入れ替えと何役もこなしことを理想とした。和室の壁は板壁の上に漆喰仕上げとし、横になって休んだときの目線に、板壁が迫ると落ち着きがなく逆に不安が増しのではと思う。

写真 建物の中心付近に設けた開放できる天窓(電動式)




和室続き間は背丈より上はなるべくオープンにした造り、勿論12尺飛ばしの梁なども桁と同寸法にすることで、徹底して簡略化した。構造材の木材、木材種類を極力少なくすることは、木材の切り回しが出来るのであり、構造材に掛る荷重を如何に分散、弱い部分を無くしことを考えたものでもあり、構造材を現し造る難しさは唯端に現せば良いと言う者でもないと思うものである。

写真 梁算段も極力少なくした骨組み、茶の間方面を見る。垂木が「合掌」の役目を果たしている。





posted by kanno at 11:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日

気仙かべの真髄

地元、旧浜街道「今泉」街並み通りに面して大きな土蔵が目に付きます。
みそ、醤油の製造元「和泉屋」さんの土蔵が2棟通りに見え、
手入れが良いため、通りを明るくしての海鼠かべは落着きを感じます。
昔から火事が多く、商売品を大事に扱うためには是非とも必要だったのです。





妻側から見る、海鼠は太く力強く、すぐ手前の3差路の交差点から歩きながらの
風景に、街の品格を現れ、流行に惑わせられないモノクロの、永遠の美があります。
古い街並みに、海鼠かべがあると何故かホッとするのは何故だろう。




スケールを充てて図ると9寸角、三分の一が海鼠とこのような図形には
大きさのバランスが大事です。単に海鼠つければよいものではなく、
かべ全体の中で割付しないと、白黒のバランスが崩れると取り返すがつきません。




この街の中では、1番大きな土蔵です。過日岩手県指定文化財になった。
9.9日のブログで紹介)吉田家大庄屋の土蔵です。

2004.1.7ブログで紹介)




この春に、解体されどこかに消えた、姉歯橋のたもとの旅館の土蔵
聞くところによると関東方面に第二の住処に嫁いだととのことです。
粗大ゴミにならず良かったと後で聞きました。
どこの街にも古ければ古いほどある土蔵は良いですねえ。

しかし益々、地方の荒廃に土蔵を持って移動も出来ず、困ったもんだ。
御国の御偉い檀那様立ち、ナジョニ考えでんだべねぇす。

このままいったら、お目様たちバッジ着けられなくなるんじゃない。
どうしんのす、マンマ食えなくなるんじゃないの、明日明日お祭りも
シネバなんねべす、人のことかまってで足元良いんだべか
アナ(穴)と不倫などしてる暇があるんだねぇす、一票書いてくれる人が減ったら
マンマ食えなくなるべもの、その前にこっちトラ先にどこさか逃げねばと
考え出る人が多くなってキァンシタガ、ウカウカしてで、いったっけか崖プチだったりして
おら、しゃねぇ。・・・・・・・・・?


2006年10月28日

「国家百年の計」の手抜きの土壌つくり

国家百年の計」の手抜きの土壌つくり

全国に発生した。大人の「手抜き奨励」のための履修単位不足、今、わが県もご多聞にもれず、来春卒業、大学入試を控えた高3年生は大変であり、また大迷惑な事態になりました。頭が優秀で将来大学に入れる生徒らが通う、進学校ほど大きな影響です。小中高での勉学は,しっかりと社会に生き、人生の基礎を育なければならない大事な年齢期、大人の変な欲望を満たしために起きた由々しいことであり、戦後の歪んだ教育の「膿」の吐出です。

根本がなく、目先の欲望を生み出した国家指導者に未来を見つめる目がないためといっても過言ではなく、「人の基」が形成される大事なことを自分らの都合で、短絡的に決め、大学に入学できれば優秀校となり、新しく入学する子等の大きな目標となるはずが、まだ社会を理解できない社会未熟者を大人の都合で歪んだ「基」がつくられることは「国家百年の計」の大失態以外のなにものでもなく、上からの命令を忠実に教えてきた現場教師はもっと迷惑以外の何もでもないのです。

このような社会を作り出した我々大人と、国家指導者の責任は大であり。この子等が10年後20年後国家を動かし時の判断が、このような手抜きの土壌で育てるツケが必ずきます。現に、戦後20数年で回復好景気時代に育てられた人間が、今の時代を動かしていること考えると、国家百年の道の大事さを痛感するものである。御国の現状は、貧弱な時代の教育を受けたものらが、国家を牽引しているのを見ても判るとおり、根本教育ない時代のツケが現れているのは見ての通りです。
それが「因縁因果」と仏教の言葉にあります。まさに今の時代のツケは「因縁因果」以外のなにものでもないのです。

「教育の手抜きが、自己の利の為の手抜き、そして棲家の器の手抜き」を生んでいる。

想像すると、この子等の大人時代はまた「基の木阿弥」かも24時間時計にはいつも陽が当たっていないが、闇夜もあり、お天道様が真上に来るときもある。悲観することもなく生きてほしい。
でも今回のことは人生の大きなキズでもある。

辞典から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いんねん【因縁】
〔「いんえん」の変化〕〔「因」は直接の原因、「縁」は間接の原因の意。一切の事象は、この因・縁が相合(アイガツ)して成る、というのが仏教の基本的な考え方〕
1 宿命による、動かせない環境や関係。
用例・作例
前世からの―と〔=運命と思って〕あきらめる
何かの―だ
浅からぬ―〔=ゆかり〕
お前なんかに―をつけられる〔=ゆすったりする目的で、言いがかりを言われる〕覚えは無い
2 そうなった(深い)わけ。
用例・作例
いわれ―、故事来歴
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いんが(イングワ)【因果】
T 
1 原因と結果。
用例・作例
―関係
2 〔仏教で〕前世の悪業(アクゴウ)の必然的な結果として現在の不幸があるという考え方。
用例・作例
―を含める〔=どうしてもそうなるより仕方が無いんだと、事情を説明して、あきらめさせる〕
U ―な ―に
1 避けることの出来ない、ひどい状態。
用例・作例
―な話
―〔=不幸。不運〕な身の上
2 よい結果が出ないことが分かっていても、どうしてもそうせずにはおられない状態。
用例・作例
―な性分
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【因果応報】
〔仏教で〕過去・前世の行いの善悪に応じて、(悪い)報いが有ること。
【因果と】
(副)
どういうめぐり合わせか、損な性分に生まれついていたり 不本意ながら そういう事態に陥ってしまっていたり することを表わす。
【因果律】
原因と結果との間には、一定の関係が有るという法則。




posted by kanno at 06:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

続「農耕馬」時代の遺産

―写真―江戸末期の牛小屋を背面から

前回に続き、近くの牛小屋の建物を後ろ側から見ました。やはり、江戸末期の建物です。たしか昭和30年代前半に今は亡き1番弟子の兄が、北海道出稼ぎの冬場の仕事休の春先に改造工事を行った記憶があります。まだ6年生ぐらいだった思う。
茅葺きの小屋組みを外して梁・桁の上束柱を建てて屋根替えしたのです。




―写真―西側から見た下屋部分に外トイレ

外壁の下見板張りは、昭和36年の秋頃、張ったときに手伝ったのです。物を入れるだけではなく、作業場として下屋をさげたのですが、その後の農業の近代化などから
車・農機具などを入れたりして使われてきました。
まだまだ、骨組みがしっかりしているのでオオバ―に言い場
今後100年は黙って持つ堪えている確信します。




―写真―遠くに見えるメタセコイヤが先に倒れるかも。

現代の木造建築が計算づくで建てるものと違い、ものつくりが確かだという確信もってつくられたものに屁理屈はいらない。
もちろん筋違も入らず、貫に土壁だけの建物ですがこのような
建物を見ていると、今の建てものはやはり吹けば飛ぶような
バラック建物だから、天災にあうとひとたまりもないのです。




―写真―秋の庭先の木々の風景「高野槙・桧・紅葉・椿」などなど

もうそろそろ、そんなバラック住宅ではなく確かな建物をつくる時代だと思います。貧弱な建物をつくり、「銭が無く、欲が深い」だけでは、命が危ないのを判っていながら、そして「法」を
つくりガタガタしている姿を見て、経済の発展が真の意味の発展
ではなく、貧弱な経済だと思うのである。
一時の満足のために大きく浪費している姿は、20年後に訪れる
世界一の人口国は、御国をモデルしていましが、貧弱、爪たて経済は
いつまでも続くはずがないのである。
それの姿が「続・伊弉諾景気」と騒ぐ阿呆の、哀れさを感ずる。





posted by kanno at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

「秋日和」の体感温度―2

―写真―その南面床の表面温度が「28度」です。

10月21日の、「秋日和の体感温度―1」ブログを補足します。
外気温等が不足していました。
当日(21日)午前9時、気象庁大船渡測候所のデータから
現地気圧―1019.6ヘストパスカル
海面気圧―1024.3ヘストパスカル
気温 ―13.6度
相対湿度―47%
風向 ―北北西
風速 ―3.1m
日照時間―1時間・・・・・・・・以上が当日の正確なデータです。




―写真―中に入るに従い、床温度が下がってきます。「20度」です。

現在の建物は綺麗に仕上るために、色もカラフルになり、
その上日常生活でも、家事労働を少なくなるように
造られますが、しかし「木の家」に住む方は、柱・床などに
石油系塗装は、素材を悪くするだけなのと、化学物質過敏症を
誘発する上、素材の持つ特性まで駄目にするべきではないのです。




―写真―北側の床温度が「19度」です。床表面が塗装されていますので
かなり冷たく感じます。

我が家も30数年まもなく40年近くになろうしていますが、
当時の建設時、なぜか貧乏人が格好つけるのが良いのか
柱・床など木部に石油系塗装で、仕上げてあります。時間を
経る度に、化粧がはげるように見るも無残な姿になっています。
再生のために手を入れるよりは、今後サンドペーパーなどで削り
そのままの地を現していくつもりです。

これからの寒い季節、いかに自然エネルギーを有効に取り入れるかは
住む方々のチョトした気配りが、財布への負担は軽くなると思うのです。
今後は、石油エネルギーにはなるべく頼らない生活の工夫する時代に
入ったので、地球環境を破壊してまで生きながらいでも次世代にツケを
つくらない方法を模索すべき課題です。





posted by kanno at 09:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

時代を写し看板=2題

「本家」と書かれた看板を写真に収めました。
時代を考えても、明治時代かと想像します。
岩手県旧M町の旧奥州街道沿いにあり、道が
クランクに曲がると直ぐに目に付きます。

よく見ると、三枚に見え三枚が収まった
所から恐らく、商売の時には開いて使われた
物だと思います。

アイデアは店主で、つくったのは宮大工で
ないかと考えられます。
千鳥破風屋根、唐破風、龍が頭を下げ、客を招く、
当時としても、お客様に堂々と信用を訴える姿勢が
物凄いのと、手抜きをしない組み物、扇垂木の
バランスと良いと相当な手間を掛けたのだと思う。

また看板も然ることながら、取り付けられた
母屋の小屋組みもまた素晴らしい。
長い間風雪にさらされた為に覆いの屋根は、
この頃掛けられたのだと思うが、今後も
大事に、保存されるよう切に願いたいものである。
「有形登録文化財」に登録できるのではないかと思う。




「大鋸」(おおが)の看板、
これは兵庫県の金物の町で見かけたものです。
遠くから、道具・金物屋というのがひと目で判り
この見え方が、これも素晴らしい看板です。
当時、時代には無くてはならない大鋸です。
今は、帯鋸という大きな機械で胴割りするですが
そのような機械のない時代大きな丸太から板を取るのに
是非なくてはならなかったのです。

現代、最後木挽きといわれる「林 以一さん」HP
木から材へ「大鋸」実演と体験

我が先祖も木挽きでしたので、大きなメンパ
(ご飯を蓋と親の両方にご飯を入れた時は持ち歩き、
男の人がご飯を沢山持ち歩いた事から、「男弁当」。)に
麦飯をいっぱい積めた弁当箱ですが、木挽きの場合は
その弁当を1度に食べずに何回かにも分けて食べたのです。
大鋸引きは腹に力が入らないと仕事にならず、本当に
重労働だったのだと、年寄りから聞かされたものです。
とにかく腹が減ってはどうのもならなかったのです。

「めんぱ」

検索メンパ






posted by kanno at 05:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 古民家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

「農耕馬」時代の遺産

江戸時代末期約150年以上前の建物、農耕馬が主力の時代、馬・牛が動力源として貴重なため、骨太の建物です。

当初は茅葺きだったのですが、戦後、屋根構造部分を取り外し屋根替えをして、小屋部分面積を広くして萱、稲わらなど、冬場に牛馬の飼料として保存するのに改造、屋根はセメント瓦に葺き替えたのです。
記憶として、戦後のまもなく改造したのを覚えています。
当初から、出桁方式(センガイつくり)で牛馬を外にだしても
直には雨とかに当たらず、ニグラをつける作業などしたために
是非必要だったのです。
小屋梁2段は改造前で、その上に束柱など新規に建てて、
和小屋にしたのです。そして当初の骨部分などの貫は厚く、
壁は馬のいたずらでこけていますが、どうしても長い間に
傷みが激しいのです。
昭和30年代までは馬を飼っていましたが、時代とともに、
飼うのを止め、稲わらなどの物置として使われています。
近くにはまだ数軒残っています。





posted by kanno at 06:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

キックベースボール

秋晴れの日曜日、朝から気仙町地域内14地区、防犯活動に関連した模様し、地区内「小中児童・母親・父親」15名じつが参加して、「キックベースボール」が行われた。
(三角ベースボール1塁から3塁までが長い√2を走る)

――写真、我が母校気仙中学校が会場、先日の町民運動会と同じ会場




我が双六地区も参加、2年間地区の金庫番役員を引き受けている以上は、下回りをするのが役目で、秋の休みに会場に1日ヘバリついて応援、昼食の弁当買い等で会場から弁当屋に走るのである。
(前任者が一生懸命支えてきた。)

――写真、3塁側ベンチ、地区の選手達が大きな声で応援




少子高齢化社会の中、参加も儘ならい地区もあり、それでも親子の触れ合いが少ない時代に、親子が共通の目標をもって触れ合うのも大事な行事である。
(それが防犯活動と主催者)

――写真、鉢巻の地区の女の子、ダイナミックにボールを蹴る。




試合は5回戦、大きなボールが四方八方に飛び、ボールを追う親子の姿がほほえましい、本物野球とは違い、大きなボールに親しみを覚えるの選手だけだろうか。選手の家族の応援もまた一生懸命である。
(なぜか時代を感じさせる。物不足の時代に育った者とは全然違う世界)

――写真、決勝、試合終了お互いがエール交換





試合の結果は、惜しくも3位でしたが、参加した親子、応援の家族と皆、秋晴れの天気のようで陽気な一日でしたが、中でも低学年の女の子は試合負けたのが悔しいと泣きながら、早々に父親の手を引っ張って、帰ったのが印象的、やはり闘争本能がもう芽生えているんだなあと、1人で関心したのである。

(でも、秋一番の天気、また紅葉季節、秋の味覚を求めるイベントが各地で開催され、今一応援や参加者が少ないのは・・・・・・・・ムニャムニャ)

――写真、伝統的な大会、表彰式には優勝旗まである。(てーあしたもんだぁ)

後は片付けて会場を後にする。









2006年10月22日

秋の異変「紫陽花」と「花」と「味覚」

紫陽花 

歩いて仕事に向かう小道、北斜面の畑と小川の
法面に花の季節が過ぎた「紫陽花」が咲いている。
確かに梅雨の時期に咲く花が、何でだろうと思い
調べるとやはり時期遅れの紫陽花です。

今日は、暦で旧暦9月1日です。06年は、
気象異変を感じることが多くあります。
紫陽花の花の色は根元の土壌によっても
花の色が違う、天然のリトマス試験紙の
役割も持っているのだそうですが、
写真の紫陽花は1個だけが色が違うのです。




やはり遅く、芽を出したのが「茗荷」、
今月中ごろからです。
昔から物忘れをするとして、珍重がられて
畑の周辺で作られる作物ですが、
太陽と月の乖離したのが最大の原因か、
それとも地球上の大気の変化なのかは
知るよしもありませんが、いつもは夏の終わ
りごろから出るのが、今年は1ヶ月以上も
遅れているのだけ気になります。

素麺などの薬味で食べていたのですが、
時期はずれになったので瓶詰め漬物にして
時々おかずにしています。

味の素旬のカレンダー
茗荷の旬 7月〜9月




国道沿いの法面に咲く「萩」ですが
繁殖が旺盛で、毎年刈り払いして
いますがものすごく邪魔な植物です。

法面保護としては良いから、「国」が余り
歓迎できる植物ではないような気がするのである。
税金で道路改良しているのがわかりますが、
もっと地域とか手入れなどを考えて決め手
いただきたいものである。

について
オマケとにかく中味を見てください。
季節によって呼び方が違うのを知りました。





歩きながら、よそ見していたら足元に
オヤト思ったら「大蟷螂」(オオカマキリ)
さんが道路横断しているではないの
いつもは車で、さっと通り過ぎるのですが
足で歩くと野花や、昆虫と色々なことを目にします。
このカマキリさんも、卵はまだ産まないのか
それとも生む場所探しなのか、この辺りは
冬でも暖かく雪が降ってもすぐ溶けるので、
そのあたりを判っての移動だと思う。

螳螂について




サツマイモが食卓に並ぶようになりました。
それと「ホタテ」が今夜は焼き物で出ました。
皮が白いのが「コガネセンガン」赤い皮のが
「ベニアズマ」の種類ですが、今年は早くから
サツマイモの葉が、カモシカの餌になり、
育ちが今一なのです。真ん中を割ると芯部分が
黄金色しているからそのような名がついたのかは
不明ですが、秋の夜長に口当たりが良いのを
食べると病みつきなります。

お腹に入ると消化が良いせいか、ガスがたまり
辺りかまわずに「出るもの所嫌わず」いいますが快調です。

サツマイモについて 






 
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