シンタックホーム 菅野照夫
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2006年09月29日

デザインかな?

用事があって訪ねた家の屋敷入り口に小さな建物がありました。
何に使われたのかは聞かなかったし、中もどうなっているのか不明でしたが、外壁に奇妙なデザインの明り取りかと考えられる窓、漆喰壁を塗りましているところを見ると、下地をつくった大工なのかそれとも左官屋が作ったのかは、デザインについても聞かないのでわからなかった。





また、1間間入り口上にも欄間を思わせるデザインの壁があり、暫し眺めた。
この地域では中が何かという意味をこめているのか。すぐには想像がつかなかったので今度用事が出来たときに聞いてみようと思ったのである。







ガラスの模様から見ると戦後に建てられたものと思うのである。大きさは妻側1.5間桁行側2間の3坪ほどの小屋と言ってよいような建物ですが、屋根はこの頃葺き替えたらしく、それも四方船外つくりである。恐らく、10年くらい前にお母屋を新築しているのと、基礎がブロックなので簡単な基礎から考えると元の場所から移転してきたのか、若しかすると風呂場に使われたのかなあと考えました。
何だと考えられます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






posted by kanno at 09:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

今が「最高に旬」の醍醐味

25日夕方、家に帰ると近所の定置網に行ってる方が、鰹を持ってきたよと、見ると超大物「鰹」でした。
こんなにデカイのはしばらく見たことが無く、半分ぐらいのは店頭にも並ぶのですが、この魚を釣った船乗りさんは、市場には水揚げせずにこの鰹を釣るために、餌の鰯を供給してくれる定置網にと選別して何10本と持ってきたのだと思うし、自分らが常に良い餌を準備してくれる、感謝のお裾分けの心がまた、定置網の船乗りさんが近所ということで、こちらにもと届けてくれたのだと思う。





珍しいので、早速、量りに乗っけたら6.6kgと見るからにして大きいのを実感した。とにかく見てばかり感心していられないので、まな板に乗っけて新鮮なうちに血抜きしないと、味にかかわるので包丁入れた。
まあ見事なこと、油に反射した光が「金緑色」に光っているではないの、外から見た魚肌の銀色と良い、箸をつける前に、3枚おろしの骨についた部分の肉をつまみ食い、まあまあ舌の上で蕩けること絶品でし、今夜も、「米の汁」が捗るは、田舎に住んでの醍醐味はこれに限る、市場に上がった生魚は、トラックに揺られて遠くまで行くのとは丸で違うね。・・・・・・・・・・

戻り鰹・秋刀魚・秋鮭と三陸の港は、今が最高に旬なのです。





2006年09月26日

200年前の仕事「陸奥・正法寺」に見た

昨日に続きます。
曹洞宗が陸奥の布教の拠点を日本三大道場として、この地に構えたのが「陸奥・正法寺」なのです。

・正法寺保存修理工事ニュース(H13.10.15〜H18.9.8まで32号にわたり掲載されております。)

写真 隅木・結木上の架構小屋組。


2003年5月、200年ぶりに、屋根の茅葺きが剥がされた力強い小屋組「陸奥・正法寺」の当時の仕事を見学することが出来た。
茅葺き屋根では日本一の屋根、その屋根面積720坪(約2400u)畳に換算すると1440枚と、当時はその萱を屋根に持ち上げるのに、牛の背で運んだ共聞きました。

写真 仮設屋根の支柱から台持ち継手が見える。




小屋裏の骨組みの巨大さは、圧巻と言う以外にありません。如何に当時の工人の仕事には現在の、最新の機械の無い時代によくもこれだけの骨組みを組んだものだと考えさせられました。
200年前の金物などを見ると、まだまだ使えるので、またも幾らかの手を入れ修理をして元に戻して取り付けるのだそうです。和釘なども手えねえに抜かれ、使えるものはまた元に戻して使用と、解体前のもので使えるものは全部元にもどして行くという。

写真 結木から化粧垂木を吊る金物


当時も建築するときに1番に使われるものとして、大事なのは「糸」これがないと建物は出来ません。大工の「墨壷」の壷糸が、木材に打たれ「水平・垂直」そして「直角」と建物つくりで、1番難しいのはこの、「水平・垂直・直角」に限りなくそして絶対に動かせないのです。どんな難しい仕口継手などは部分的に難しいのであって、「水平・垂直・直角」が絶対であれば、どんな変形・奇形であろうと、それは簡単なことです。「糸」は限りなく細くなければ成らず、竹の「墨刺し」なども限りなく細い線が引けるのが最大の条件なのですが、それも全て糸なしでは考えられないのです。
話が横道になりますが「糸偏」つく漢字すべてが人の生きるのに必要な意味をなしているのです。

写真 当時作られた金物類 吊金具・鎹・和釘




再建のための木材は付近の山からの材がほどんとで、特に「松」が豊富だったものと思われ、目の積んだ材がふんだんに使われ、継手などを見ると、現在の建築基準法は認めない「台持継」の継手が見える。
このような建物をみると、現建築基準法違反というのが結構目につきますが、物を理解できないお偉い方々の頭はどうなっているのか常々思うのである。これだけの建物に現法では認められない仕口継手が数多く使用されているのに、何を基準として駄目と言うのかいつも思うものです。

写真 隅木これが見納め、200年後にまたね。





posted by kanno at 06:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月25日

日本一の「茅葺き屋根」工事が完成

日本一の「茅葺き屋根」のお寺の大修理がこのほど完成、今月末29・30日には一般公開が行われる。

寺伝
(本堂の茅葺屋根は、棟高(屋根の高さ)約26メートル、勾配49度、面積は720坪と日本一の茅葺屋根を誇る。)

写真 仮設大屋根


足掛け12年という大修理、やはり一寺でとても出来るものでもない、畿内のように「大本山」ならいざ知らず、昔は「曹洞宗」三大本山だったのが格下げになり、現在は普通の一寺になり手をつける前は惨憺たる状態であったが、日本一茅葺き屋根ということが「国の重要文化財」の指定を受け、国家が大修理を行ったのである。

写真 軒先を説明する、文化財担当者


茅葺き屋根の萱を全面剥がした時、2003年5月16・17日に200年ぶりに小屋裏の骨組みの見学時写真を掲載します。

写真 軒先から棟木を見上げる




9月16日の朝刊

正法寺見学

写真 巨大隅木



正法寺「七不思議」

ザ・サイト

写真 本堂内部を見上げる




posted by kanno at 07:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

未完成な「四方船外」つくりで仕上げる方法

「入母屋つくりの家」を造るとき時に、明治大正以前までの民家は、3方船外までと制限されていました。
なぜかというと、4方船外(桁(通常「丸桁」気仙の呼称「ガンギョウ」)から小屋梁または出桁受ける鴨居「カモイ」)で軒を出し工法は武士の家でしか作れない禁止された工法でしたが、知恵のある棟梁が、3方船外ではどうしてもバランスが取れない(梁間の中心と棟の中心がズレテ、収まりが悪く、梁間方向から見るとどうしても納得いかない。)と言う事で、民家に四方船外工法で行い、禁止工法だということでお咎めを受けた。

写真 骨組みの船外つくり、建前時。出桁部分が船外つくり軒だしために工夫された。
 最初は、茅葺き屋根の軒が出ないために、考え出された工法だと思う。




しかし、この棟梁は知恵者だった方で、当時の役人と渡り合い(交渉)等々認めさせたのです。それは未完成な「四方船外」つくりだと、主張して譲らなかったのです。それとは「船外天井」の1部を張らずに、完成させたのです。だから四方ではなく3方だと主張して、3方で通してしまったので、今、我々も作るときには、その主張とおり、「船外天井」の1部に天井を張らずに施工、天井に穴が開いています。穴が開いていると雀などの鳥が小屋裏に入るので、金網で塞ぎ、仕上げています。

写真 1階屋根と二階屋根重なる部分、普通は余り見えない所の天井を張らないで収 めて3方船外としたのである。




このような知恵者の話で有名なのは、江戸時代に気仙の名刹浄土真宗「長安寺」の山門をご禁制の「欅」で造り「槻」と主張として譲らず、仙台まで呼び出しを受け、以後手を手をつけて成らんと「扉なし山門」の有名な話があります。(後日)

常に地方の生活を、中央で物事を決めるときには、地方が持っている独自性は最後まで主張しないと、物を知らない輩の餌食なってはいけないと思う。

今の世界は巨大武器を持った国のごり押しが、紛争を巻き起こし原因と言うのは自分らの思うようにいかないヤッカミから、武器をもって脅かしのはチンピラがただ大きくなっただけと違います。・・・・・あとはやめよっと、玄関前に武器を持った奴が着てるかも。????・・・・・・・

写真 扇垂木玄関、船外天井の仕上がり。




posted by kanno at 10:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

完成は崩壊の始まり

地震のガルについて調べていたら、何時か、来るであろうと思う。
大地震についてかいたHPがあって読んでみると、原発の危険性についてまじめに解いていたのがあり、
昔、日光に旅行したとき「陽明門」の12本の柱内1本の柱が逆さ模様で立っていたのである。
建築時の学者が、完全なものは「神」以外になく、人間が作るものは必ず間違いがあるものだと言われたそうです。

現在に於き充ててみると、建築基準法を含む人間が考えで造ったものも信用するのには、如何なものかと、まして原子力発電などは、確かに熱効率は抜群ですが大地震にあったら日本の半分が消滅しても可笑しくないと書いてあったが、確かにソ連の「チェルノブイル原発」のようになったら、首都圏を含む地域はどうなるんだろうと考えると、身の毛もヨダツものである。

次の「HP」を読んでみてください。

完璧でないということ 
「迫り来る東京大地震」
「映画「東京原発」にみられる間違い」 
浜岡原発の即時停止と、プルサーマル計画導入の中止を求める申し入れ書
「迫り来る東京大地震」
耐震設計基準は崩壊した新幹線脱線の恐怖





posted by kanno at 06:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

今の御国は「貪欲」世界のオンパレード

人間の4大欲「食欲・性欲・金銭欲・名誉欲」
これは人が成長する過程に発生するものであるが、
しかし根っこは遺伝的要素の方が大いのではないかと思う。

戦後、わが国はどん底世界から這い上がり、
世の中が繁栄しだした現在、「我田引水」の言葉のごとく、
その4大欲の塊みたいなのがあっちこっちにハビコリダシ、
国中が、「欲の銭湯」の大浴場に浸かった状態である。

4年に1度来るお祭り騒ぎのために用意周到に根回し、準備中であるが、
3人よるとその話題を出来、あーだ・こーだと「赤蜂」(スズメバチ)の
巣を突っ突いたような変な動きを、後ろから見ると本当に可笑しい。

国全体を見ると、「金銭欲」の事件が多すぎる。
公費(税金)・団体負担金・年金までの使い込み、
隠匿、役得、とても公費負担する奴がアホだと
言わんばかりの動きに、飽きれて開いた口が塞がらない。
また、4大欲に凝り固まった超輩に多いのも事実である。

「性欲」事件もまた多い、国の指導者から公人私人問わず
教育者の果てまで、模範であるべき人たちの日常は、
「色魔」という病に犯され、とんでもない病気である。
これは治り難く、また治し薬も注射も無い。
戦後の貧の時の方向を間違い、「米国」の日本人腑抜け政策の
押し付けの結果、第一根本である「人間教育」の欠陥の露呈である。

「名誉欲」これも特にこの頃多い、1度握ったら
絶対に離したくない猛烈な貪欲である。
色々なところを見ていると、差し詰め「床の間」の前に座りたい
人間が多すぎる、料理の根本も知らずに箸をつける輩は物をどれだけ
知っているのか摩訶不思議である。

そして、名刺などには多くの肩書きを書き、如何にも何でも
判っているのだという驕りには飽きれて、ものも言いない。
これでは遠からず、高い所から上にも行けずに上に向かって
飛び込む以外に方法が無いだろうと思う。

「御神輿」担ぎが多くなれば良いが、担ぎ手が揃っても誰も肩を
出さなければ、果たして「御神輿」がどうなるか、考えないのだろうか。
来年前半、日本国中のお祭りが見ものだ。・・・・・・・・・・・・・・・・(笑-笑-)


posted by kanno at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ケセン語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

気仙「赤松」悲劇

わが街の背後に聳える山が人間よる虫食い状態に、あちこちの松林が穴あきになってきました。
それとは、1970年代から発生した松食い虫が段々北上に伴い、南の地方には「赤松」が無くなり、高い価格でも買うため、大型土木機械を持ち込み、876mの山の頂上付近まで伐採しています。
伐採あとの山は散々たる状態です。運搬路を造るために滅茶苦茶に山肌を削り、搬出後はそのまま放置の状態です。今後集中豪雨などの大雨が降ったら川下含め大変なる事態が予想され、大惨事になってからでは遅いのです。

写真 南面の山肌が虫食い状態




現在、「赤松」立木(100年以上)は1本1万円もしない極端に言うと、山では唯同然の価格に近いのです。そして林家には松くい虫に食われないうちに手放したほうが得だと並べ、買っていくのです。
特に山陰・山陽地方の需要が値強く、秋の彼岸から春の彼岸までの間に、そっちこっちの松林に大きな穴があいて行きます。もちろん行政は被害が起きないと動かない、被害にあったものだけが馬鹿を見る現在、現地で伐採して流している業者のみが暴利で儲かるなんて、地元では米松丸太使用しているのに地域事情によって「赤松」の需要が地域の自然破壊を助長させるなんて、やはり御国には可笑しな国です。

写真 あっちこっちが虫食い状態




「気仙赤松」は、「気仙杉」と同じで、内陸部の赤松と違いは秋目が厚く、特に構造材などや造作材に持って来いなのです。小屋梁、木造船の骨組には強く、昔から結構需要があったのですが、家のつくりが変わり、貧弱な工法が蔓延ったために、地元の需要が無くなり地元では、現在では造作材の床板などに多く使われているのです。

写真 13号台風、澤沢が氾濫




昭和30年から5年於きの価格
山元の立木値段の推移



2006年09月18日

記憶(又消えた昭和)花輪喜久蔵系統 4

7月30日以来
坂本家の記憶が遠ざかりました。
今日は外回りを見て行きます。
旧三陸町綾里地区独自な工法を残しています。
センガイつくり、隅鴨居の鼻に彫り物は独特です。
梁の鼻を見せるために、色々彫刻をホドコシテある。
凝れでもかと競いあう大工が、近所に建てられた家より
良く見せなければ、次の仕事の時には評価が下がるので、
おのずと勉強し如何に手間を掛けた技を
見せなければと、努力した後が見えます。




気仙大工の建てた当時のつくりに独特なのが、前側 妻側に現在の建築基準法では壁が無いとアウトなのを、あいて挑戦した2面を開放したつくりの強度を出した工法です。
柱・土台・縁ぶち・刺し鴨居・釣束・貫・丸桁(ガンギョウ)で組んだ工法は解体して見て解ったのですが、柔軟な強度を出します。
また建具(昔は板雨戸)も付随して強度を助けます。




戸袋を見ると、小さいながら「扇垂木」のつくり、
ここにも、大工が社寺の勉強ということで挑戦しているのです。
欄間彫刻なども大工が彫ったものだと思う。
下見板に、矢羽張りと当時の大工が如何に勉強したのの、後が見える。
もちろん戸袋裏側に壁が無く、雨戸がそのまま取り込めるようになっている。




梁間4間に縁側分の幅で構成された。気仙独特の工法である。
戦後の法律で構造計算上の力が表現されれば良いという考えの現在の家つくりには大いなる疑問を感じるものである。
全て昔が良いとは言いませんが、木組みの構築の仕方は、現在のものつくりの方々が勉強しても良いと思う。





調査では、建築当時の印があればと探します。棟札は綺麗に残っていました。
ここにも、「木挽き棟梁」の名が記されており、先日いただいた資料に、東北工大教授高橋先生いわく、気仙大工は木挽きから始まった大工達ではないかと、学術的には「在方集住大工」と呼ばれつつあると書いてありました。
旧暦で書いた日時は、新暦、昭和17年5月31日友引の建立です。





posted by kanno at 04:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

本格的な「味覚の秋」

廻り来る、自然界の動き
いよいよ味覚の秋があっちこっちから来ました。
秋刀魚も大型魚が水揚げされだして浜は活気になりました。

写真 湾中の生簀に来た1本つりかつお船 流線型がまた綺麗だ。




そして、戻り鰹のシーズンです。
昨日の、広田湾には1本釣り鰹船が餌の鰯を求め、
何隻もの鰹船が餌積みにきました。

写真 湾には何箇所も定置網があり、各船とも長い付き合いで決まる。
 1隻が待機中


隣の気仙沼魚市場に、鰹水揚げするとすぐに、
餌を積むために、広田湾に来て積み、
沖を目指しのです。

写真 別角度からも船影が見える。






例年より、天候不順の米も来月には刈り取りなります。
気仙川には 産卵のために来る鮭の留めばも準備に掛りました。
今年は新設の水揚げ作業台が取り付けになり、
作業もかなりはかどるものと思う。
網を設置する杭などと皆忙しい秋です。

写真 朝日に映える稲穂




気仙沼を詳しく紹介している。
気仙沼ブログをブログ検索してください。
なにか興味ある、ブログがあると思います。

写真 川留め、水揚げ台の新設





posted by kanno at 06:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 節・節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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