シンタックホーム 菅野照夫
   にほんブログ村 住まいブログ 伝統工法住宅へ にほんブログ村 にほんブログ村 住まいブログ 大工・職人へ にほんブログ にほんブログ村 住まいブログ 一戸建 注文住宅へ にほんブログ村

2006年07月30日

記憶(又消えた昭和)花輪喜久蔵系統 3

旧県道沿いの直角に近い曲がり角に建つ坂本家、道路の拡幅にも遇い、前側の座敷の角の隅木部分を切り詰めているのである。金折の戸袋だけ難を逃れたが、時代だから致し方が無いのである。




戦中から戦後に亘り、建築された建物にしては、材料の使い方は無垢材をフンダンに使われている。もちろん当時、ベニヤなどは輸入品であっただろうし、これくらいの家にしては、建具の鏡板など幅拾い板など、地元では手に入り難かったであろうと思う。




当時の作り方としては、骨組みをつくり、屋根を葺き、土壁を塗り、造作、建具、畳に電気配線設備ぐらいで家が仕上がったことを考えると、現在のように多種・多用な仕上げ方から、比較すると建物半分以上は、建築中の建物の中での作業が大半だったであろう。




床の間材に「黒柿」などの珍品、書院なども厳格なつくり、天井材は杉の征目板棹縁天井、戸袋などにもかなりの手間をかけているのである。またこの地域独特と独自である、拳鼻を模造した「繋ぎ梁」の外部に現れる鼻の細工と、「気仙の沢澤、辺り辺り」独自の、仕事工法が取り入れられているのである




坂本家のつくりは、明治以降の地方の在郷つくりを多く残した建物で、これ以後戦後復興の波が地方にも押し寄せ、薄ペッラな、バラック工法が全国に満員した。
現在の家を建てられる、手抜き工法、国の資格制度と、法によって、誰でも建物つくりが出来るように成り、住むのではなく、銭儲けを考えた輩が、人間を入れる「箱化」として作られようになって、現在生活は変な箱の生活をするものだから、その「巣」から飛び立った、若者の無法ぶりは毎日、マスコミの餌食となって情けない時代となったような気がする。

今日はこれまで。





posted by kanno at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

追分か、1里塚なのか、悠然とした姿の「老松」

国道456号

車で峠を下る山里の道、辺り一面の田んぼ傍を通る度に一服の清涼剤にも似た風景が目に飛び込んできます。幾度と無く通るこの道にいつもなぜか、心和むのは何故だろうと思う。今回はじめて車から降り、「老松」を間近に見ることにしてぐるりと、根元の周囲から、古道だろうと思う方向からも松の姿を眺めた。




岩手県盛岡市と宮城県本吉郡本吉町を結ぶ一般国道456号線の直ぐ傍に立つ、「老松」は現道が作られ前は、峠越えの1里塚のような気がしてならない。古道と現道がつながるT字路になっているところを見、根元の石碑数体の神社などの文字を見ると南行、北行の旅人が、これから南行の峠を越える人、又北行の峠を越えてきた人が煙草に火をつけながら、のどかな田園での一休みしたのだろうと想う。




沿岸から内陸に至るには数本の国道があり、行き先によっては色々なルートを通りますが、何故だかこの街道には不思議に想うことがある。雪道の時、雨の時、天気が良い時でも、この「老松」を見るとなぜか気分が良くなるのである。これから、目的地に向かう時、用事がすんで帰る時と、なんとなく旨く行ったことが多いのである




仕事柄、この松の姿は真直ぐではなく微妙な角度で道路側に倒れ、勾配になんとなくあるような感じがします。太い幹、枝ぶり、自然が織りなす形には、庭木のように人間が、自分の想うように作りたいと思いとは、又違った自然界の生命力の不思議な力を感じるのである。根元直径も3尺以上もあり、樹齢2百年は越えているだろうと思う。石碑の中には天保年間の年号もあり、古くからこの地は地域の安全を祈願する場所でもあったのだと想像できる。だから歩く旅人のやすらぎの場所になったのだと思うのが自然であると、勝手に考えるのである。




この地は「旧江刺市」現在は「奥州市」となったが、道が良くなり、便利になることは、誰もが望みますが、歴史を伝えていくのも、今生きる我々が、次世代に伝え、残すことも大事な使命であると想うのであり、この老松だけではなく、この地の原風景が、このまま限りなく続くよう、国とか県ではなく、この地域の「天然記念物」に指定しても良いのではないかと考えるものである。新しいことを考える時、昔からの積み重ねがあって現在があるわけなのだから、例えこのような「木」1本でも、百年、二百年生きるということは、毎日の積み重ねあってのこと、現代のように安直に儲かることばかりでは、歴史が消えてしまうのではなかろうか考える毎日。・・・・・・・

456ルート一部

ルート近郊


2006年07月28日

日本最大の「千石船」の建造計画が公表される。

山形県・酒田市

写真 「みちのく丸」進水・東海新報社より

平成4年、三陸・海の博覧会の折に「気仙船大工」によって復元建造された350石(約60トン)積みの気仙丸の建造からはじまった。
島国の日本には切っても切れない物流のための海運の歴史を、次世代に繋ぐと同時に、嘗ての寄港地が「地域活性化」の起爆剤に、北前船千石積みの実物大で計画。
全長33〜36メートル、幅約10メートルで、青森市にある北前船「みちのく丸」より一回り大きい、木造船の建造を、先日、日本唯一の船大工集団「気仙船大工」棟梁・新沼留之進との間で合意された。

平成4年を皮切りに、地元の「気仙丸」、新潟県佐渡の「白山丸」、大阪の「浪華丸」、青森市の「みちのく丸」に続き、5隻目が山形県酒田市に最大の千石船になる。

気仙丸 
http://www.ofunatocci.or.jp/index_3.htm
白山丸 
http://www17.ocn.ne.jp/~hakusan/
浪華丸 
http://www.kousi.gr.jp/kousi/kikaku/seihin/higaki_001.html
みちのく丸
http://www.worldtimes.co.jp/col/every/ev050919.html


2006年07月27日

木造4階建ての宿・・・・みちのくD温泉

会合後の立ち話で古き良き時代に建てられ、今も現役で活躍している宿があると聴き寄り道して、外回りのみでも見学できたらと、写真に収めてきました。
また、H温泉がこの温泉から、引き湯をしているのも始めて知りました。

写真 木造3階建てと数え???




県内でも集客力抜群の、H温泉郷の奥にということで4号線から外れ、車で西に向け沢沿いを10数分、道の両側が高い山に囲まれ、道路と小川が並行分け入り、古い温泉地らしく道路両側が、ホテル・旅館が立ち並びその中に、入母屋つくりの3階建て旅館が目に入ってきました。いやかぞえたら4階建てでした。

写真 山肌にもうゆりの花




うっそうとした緑の山肌を背負う形に、威風堂々した建物を、暫し向側の駐車場から眺めさせてもらいました。
狭い敷地を有効利用するのに、上に伸びるしか無かったのだろうと思う、急斜面の山肌にコンクリート擁壁がほぼ垂直に築かれ、それでも玄関はお客を意識して大きく取った構え、見られること意識した外観バランスは建てる方々がかなり苦労したものと思われる。

写真 位置を変えたら 4階部分が見えた




木を表し、白壁の漆喰仕上は、モノクロ写真と同じくなり、流行がなく「白」は限りなく白となり、木肌はその白を輪郭によって、建物を大きくも無く、又小さくもなく絶妙なバランスを保てるつくりは、現代住宅には無い落ち着きを醸し出している。これは日本人が作り出した、「和」の建築の極みであり、現代住宅にはないものでもある。

写真 雪で軒先が折れた板壁の物置


建築された時期の詳細は聞かなかったのですが、昭和初期に建てられたのではないかと想像されます。いつか機会を見て、中まで見学をすることを思い、後にした。帰る途中未完成といっても良いような板壁の物置も外観のみであるが興味がそそり、仕口等がそのまま表れているのを見たが、羽子板ボルトらしきものが見えたので余り古くは無いのかなぁと考えながら車を走らせた。

写真 隅柱の仕口、ナットが???




posted by kanno at 05:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月25日

耐震診断(アウトかな)・・・??

今、国を挙げて耐震建物診断をして「大地震」に耐える建物にしようと、簡単なマニアルで、建物の耐震診断が各地で行われておりますが、気仙を歩くとS川を背に建つ建物が目に入り写真に収めました。この場所は、昔の街道沿いでT字路だったところです。
長い時を経た建物が悠然と、建っているではない。





耐震診断をしたら完全にアウトじゃないの、外観から見ても1階・2階とも壁が見当たらない。全部建具だらけ、おまけに、近年まで、屋根には瓦葺だったあとが、母屋口の破風尻の収まりの後が見え、(建てられた当時は若しかすると、杉皮石場屋根のような気がする?)現在の「基準法」からいくと、果たして地震に持たないと、設計する方々が無理だと頭を捻るんじゃない。




気仙にはこのような建て方をしたのは、時々目に入ります。
今から数年くらい前に、「伝建群」の候補になっても好い位の「今泉」町並の中に、100年以上前に建てられ、街中では、一番大きな2階建ての店舗を兼ねた住宅を手バラシで解体をしましたが、もちろんカネオリ(桁行・梁行)全てに壁が一切なく、驚いたことにどちらの方向とも、4間(7.2)を飛ばし、中間に柱が1本ない建物だったのです。





このように壁がなくても、建ってあるのが時々目にすることが暫しあり、解体してみると先人の知恵がいっぱい入ったことを目にします。もちろん使用されている材料は特別大きなものもなく、現在ように、「垂直荷重」偏重な考えでもなく、正方形に近い木材をたくみに加工し荷重バランスを考えて建ててあるのです。






100年以上の建物をみると、仕口などに棟梁の知恵が隠されているのをしばし目にしますが、柱など4寸にちかく現在の建て方によりちかいのであり、普通に見るとなんともなく見えて、何だ当たり前なことなのに気がつく方は少ないのである。このように、地震の時にも柔軟な工法だから今まで、耐えてきたのだと考えられるのであり、現在、壁のみを重要視しますが、「柔軟な工法」には、建具などにも「力の分散」の役目もしているのだと気がつきます。この建物は今後も過去の地震と比較しても、まだまだ耐えると確信するものである。

帰りは、気仙の中でも、古くから味で有名な「そばや」がちかくにあったので、一休み、又この蕎麦屋さんも、中にはいると長いすとテーブルがに店の入口から奥に1直線で昔の乗り合いバスのような雰囲気がよく、お昼前後には外で待っているくらい、評判な店です。中は飾り気なく、本当に「味」を楽しみくる客でいつも賑わっているのです。



posted by kanno at 06:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

「おとこ・おんな」考えること、紙一重

世の中が良くなったのか、どうなのか、この頃本当に可笑しくなったよなぁー。
上は政治家である議員、首長、警察、教員、公務員、団体職員、住職、神職、宗教語る輩、一番騒ぐマスコミ、そして芸能人と・・・・・・・・・・・・・上げたら切がないない職業人として「模範」であるべき方々の破廉恥なこと。
欲望という本能の丸出しどころか、馬鹿丸出し、いや「下」丸出しの御手手コテンじゃないの、道を歩いたらおとこもおんなもいつ強姦されるか判ったもんじゃない。(おとこは強姦してもされないか。アハァー、ハァー)

この地上の、あらゆる動植物は「雄と雌」の世界、もちろん子孫を残し行為は大事なことでもあるが、知名度、地位を利用して、右も左もわからぬ餓鬼をそそのかして、末代までの恥を一瞬、それも紙一重の判断の迷いから転落した、今回のスポーツ関係者の行為は開いた口が塞がらない。(あたまにきたキン殿が可愛そう・・・・・・・でも出直しで、又やると真面目人間だよなぁー良いほうの階段にしてね。でも反省するよなぁー)

そして高校球児が、真面目に甲子園を目指して試合しているのに、同じ部員の自分勝手な欲望のはけ口対象に所構わずな行為、やはり「日本国」は可笑しなことの連続だよなぁー。

御国の一番ダイジンよ、テメイの屁にならないヘリ口も好いけど、こんな乱れた社会をどう見ているんだよ、「銭」を預けたら何をするか判らん世の中にして、(その銭のトップも一番いい加減な奴がなっているから仕方がないんじゃないの)誰じゃ?こんな奴らをいらんだのは、元を正せば胸に手を当てて考えみたら、自分たちじゃないの騒ぐなぁ―判ったかと言いたい。

毎日、マスコミ報道を見聞きしていると、「おとこ・おんな、親・子、友人、同僚」もなんも合ったもんじゃないよなぁー、「破廉恥・人のものをパックリ・ペテン・殺し」数え挙げたら切がないことだらけ、テレビ・新聞等もそのような事件ばかりを取り上げ、そして騒ぎことばかり取り上げているから、連鎖反応が起き、宗教性のなくなった国民が、追い詰められた鼠みたいに、何をしでかしか判らなくなってきた現状を、申し越し修正する方向にならんのかなぁー、元気の良い「みの」さんよ、朝から突っ張るなら、もうチョット本質をとら得た報道であることを望むよ。

これからの御国の社会は「犬・猫」の以下の人間の「畜生世界」が来るんじゃないの。そして、お上の考えることはなんでもかんでも「法」で人間を縛っても、監獄ばかり増えて、負担するのは一生懸命働く奴ばかりが馬鹿を見るんじゃなぁーい。これって本当に、無鉄ポウ(法)て言うんじゃない。





posted by kanno at 05:30| Comment(2) | TrackBack(0) | ケセン語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

記憶(又消えた昭和)花輪喜久蔵系統 2

気仙唯一の彫刻師、「中村青雲」が残した作品。
神棚の棚受け持送り、透かし彫り(籠彫り)である。
金折棚の両端に取り付けてある。

前回、紹介した座敷仕切り欄間と合わせて、1ヶ月で彫り上げたというから、如何に一心不乱の集中力で彫ったか、見事と言う以外に言葉が見当たらないのである。





気仙の家の、昔間取(戦前)は、その家の入口を「ヘーアリ口」(現在の玄関)の大戸(1枚6尺幅、上が障子、下が縦板横棧つき―外側に夜とか、時化時にしめる幅の広い雨戸)を開け、中に入ると大きな殻庭(カラニワ)そして炉端があり、外から入ると直ぐにではなく、2間ほど殻庭を歩き、炉端の客座に落ち着くのである。

(殻庭=天候の悪い日、夜なべ仕事などの作業するために欠かせない、入口近くには、丸い石が埋めてあり?、それは縄なうための、石である。現在は間取変更がしてあり板の間である。)





親類とかで、重要会議(話し合い)する時は皆が揃うまで、炉端周辺(通称・ダイドコとも言う)で待ち、全員が揃ったところで座敷との中間に「御上」(2.5間四方12畳半が多く、神棚・仏壇もある)に上がり、本家が上座(神様の下)につき、親類が暗黙の順位で着座したのである。だからそのようなシキタリが部屋構成では重要な用途をなしての家つくりであり、それが又血族の契りを表し一つの結界でもあった。





坂本家も、そのような習いで間取が構成され、座敷との仕切り戸は鏡板1枚の帯び戸と南側縁側は障子、炉端のある下座も同じく対面の帯び戸が建ってあった。それを意識した戸主が、当時彫刻師として名高い「中村青雲」に依頼して、欄間など彫刻を作ったのであろうと思うのである。建築当時の戸主は材木の取引なども行っていたというから、床の間材に「黒柿」材ふんだんに使用しているのを見ても、当時の意気込みが伝わる、建物であった。




坂本家は大工の「拘り」が随所にわたり表現して作られ、戦後、気仙には専門建具が存在していなかったのを見ると、細かな細工の出来る大工が建具までつくり、このような家を造ったのを見ると、技量の凄さが改めて敬服するものである。

次は、床の間・書院・外観の拘りを紹介します。

写真

1. 持送り彫刻(座敷側)

2. 同じく(神様の下)

3. 2と同じ

4. 勝手入口側帯び戸

5.. 出戸座敷との仕切り帯び戸(鏡板は1枚幅杉板・帯びは黒柿)




posted by kanno at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

気になる五季の「土用」

7月20日から、太陽暦の「土用」に入りました。
一年に4回ある「土用」、いつの時代だれがこのようなことを決めたのか不詳ですが、「立春・立夏・立秋・立冬」前、18日間が「土用」と決められてきました。
一年を4つに分けた、春夏秋冬を「四季」、それに「土用」をプラスすると、「五季」となります。
数字上、「五季」の場合、1季が73日間となりうまく数字が割り切れるのです。
「四季」だと、91.25日間となり、余りが出ます。
地方によっては、「土用」期間、土の移動は禁物とされ、上棟なども忌み嫌う風習が各地に残っています。
特に立秋前の7月土用は特に嫌われます。

写真 土用の入り(気仙沼・大島を遠望)




例年だと、一年の中で昨日からは、一番暑い季節のはずが、今年はなぜか「鰻」の蒲焼ではなく、「鰌」の湯豆腐を食べたくなるよな、毎日です。やはり「異状気象」のようです。
気仙も14日に最高気温32.度を記録してからは、温度が下りぱっなしです。
昨日の最低気温が15度で「低温注意報」が出っぱっなしです。色々な作物などに影響が現れてきました。
特に稲などは「イモチ病」が発生してきました。「水」管理などをうまくやらないと、大変なことになります。

写真 気象庁大船渡測候所7月のグラフ




年明けから、大雪・遅い春・低温・大雨と日本列島は例年のようなわけには行かない日々です。
暦をめくると旧暦では月が1つ増えた閏年、旧の7月が2回あり、やはり1ヶ月のズレが生じても可笑しくないのです。
旧暦の3月には、潮が大きく引ける3日・16日より、1ヶ月遅れの旧暦の4月3日・16日の方が、潮引けが大きかったような気がします。
今年は閏年で調整しますが、このあとまた1ヶ月増えた調整が太陽とバランスを整えるまで、数ヶ月掛かるのではないかと考えられるのである。

天空のバランスが、今年は大きなズレの年なようです。
「太陽と月」とバランスが、この地球上に、大きな影響をあたえているのが、今年は謙虚に現れたのだと思う。
現代生活すべてが、太陽の動きのみだけで行動していると、今年のように、我々が迷い右往左往してしまっているのを、もう少し考えなおさないと、いけないのではないかと思う。

写真 大島をズームアップ






2006年07月19日

「悲劇」の一端、地域崩壊のはじまり、国の病は国の隅々まで。

6月の終わり、近くに4人が亡くなる悲劇がおき「ブログ」書く気にはなれず、ご無沙汰してしまいした。

そして、悲劇が起きる2日前、町内14地区代表者らを先頭にして、地区民ら協力の「暴力追放運動防犯パレード」の行進を行った後、起きたことに余計に腹が立ち、車1台がやっと通れる山里の道路に、関係者が緊急事態と想い車で駆けつけるのももちろん大事かも知れないが、5月末の津波避難訓練時には、地震・津波など緊急時は、車で駆けつけても「キー」だけは着けたままにして場所に駆けつけることなどを、地域住民に指導案内をしていながら、今回救急車も通れない事態に、その場にいた人々が、「ロックされた車」を人力移動しなければならなかったことに、余計腹が立ったのである。

わが町だけではないと思いますが、緊急事態に車で駆けつけるのはもちろん否定しませんが、自分本位な行動の結果大事な「車」が壊されても、文句は言いないのではなかろうか。本当に腹がたつ日本国、ナントかならんのか。

4人の無駄死には、成人過ぎ若者らが、獣と化した集団行動で「恐喝・暴力」を繰り返して留守家族らを追い込んだのが今回の悲劇となった。そのように、犯罪の都会化・自己中心主義行動は、隣県の事件を始め、毎日テレビ・新聞・マスコミ等での報道を聞き見ていると、地方の地域崩壊のはじまりが、国の「病」となって国の隅々まで、マンインした状態が我々の足元まで来ているのである。

今回の件は、現代社会の「事なかれ主義」の一端を示し、色々な団体組織があっても「真の組織」でなく、今回の悲劇で露呈され、役所主導にぶら下がり団体は猛省し、解散若しくは出直しを図り、1人で色々な要職の数ばかりについて、きれいごとを並べれば「運動組織と勘違い」して、それに振り回される地域住民は大迷惑である。

暴力追放運動防犯パレードも、組織の都合に多くの住民は個人を犠牲にして参加、マスコミ受けを狙ったとしか思いない式典には、市や各種団体のトップなどが、きれいごとを並べるのが、運動と錯覚していることこそが大問題ではなかろうか。

組織自体の形があっても、真の防犯意識欠如は本当に地域の住民を守れるのか、疑問を感じた今回の悲劇の教訓であった。そしてそのような勝手な行動は、大いに猛省すべきである。

都市から遠いところほど、奈落の底に落ちるように地域崩壊が加速しているようでならないのが、最果ての地気仙だけだろうか。?

 
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。