シンタックホーム 菅野照夫
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2006年06月30日

桧普請

当地、気仙では珍しく、「桧」柱普請が行われています。
桧材は、気仙の山には珍しいくらいしか育てていませんので。大半は「気仙杉」と、あとは産地がどこかわからない材が、木材流通と単価の安い住宅建設のために使用されています。




産地間競争が激しくなり、割り柱より安い桧材が、当地にも流れ出したのを、どこで仕入れたのか施主側の希望で、5寸角4m柱で建てる事になり、「直角手押し鉋・直角自動鉋」を使用して、4面を一度に加工し、トコロテン方式で、柱寸法をコンマo単位で、歩ぞろいします。18年前の加工機械ですが、まだまだ現役です。

超長材(最大16m)の桁梁等も、全部寸法を揃いて刻みなどを行いうので、材料の寸法は特に注意します。
どんなに大工の腕が優秀でも、材料寸法が不ぞろいだと、手間が掛かりすぎ、仕上がりに行っても、もちろん悪いのです.現在手刻みの電動機械などは、寸法が揃うと凄く効率が良いのです



「気仙」の中で、大工仕事は「鋸・のみ・鉋」などの道具はもちろん大工さん持ですが、大型加工機械機を持っていないと、良い仕事・効率面では無理です。昭和50年代初頭、施主自山の「木」を使った関係と、「本格入母屋」住宅を数多く手がけた時外部などは100%表し仕上げが多く、現場用大型超仕上げ機を入れたのは大工の仕上の何倍もの効率があがり、その分は、「山」とか「施主」に還元したのです。その超仕上げ機なども効率では現在のオート超仕上機より、まだまだシテタモノでもない。





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2006年06月23日

記憶(又消えた昭和)花輪喜久蔵系統 1

気仙の地方新聞「東海新報」記事に掲載になった。「よみがえる気仙匠の技・・・・・・・






気仙大工の中では唯一の彫刻師「中村青雲」作の仕切り欄間は圧巻であった。家主曰く、欄間対と神棚の持送りなどを1ヶ月で彫り上げたとのこと。驚き以外に言葉はない。・・・・・・・・・・・・・




戦中から戦後にかけて建てられた坂本家が、まもなく解体が始まるとのことを聞き訪問、約1時間まで掛からない旧三陸町綾里「坂本家」を尋ねた、運よく家主が在宅で、心よく内部を見学することが出来ました。




彫刻師中村青雲は、気仙の中でも大工棟梁として有名な、名を馳せた父、「中村小三郎」の息子として、大正9年に生まれ、我が町内、気仙町出身でしたが、若くして亡くなり、生きていると80歳中半のとしでした。父の仕事には、菩提寺「龍泉寺」四方扇垂木入母屋の鐘突き堂の竜宮門を建てている。






板厚3寸の中に余すことなく、「老梅・五葉松」の彫りは見事と言うしか言いようもないのである。表面五葉松の根元に「青雲」落款まで彫られ、よくもまあ、籠彫りなど見ると1ヶ月ほど彫られたとは見事言うしか、ないのである。


帰りに立ち寄った。
花輪喜久蔵晩年の作別荘・現熊谷家

写真

1.対の写真は無理、老梅

2.老松に鷹

3.老梅に雀

4.松に鷹

5.老松の根元に「中村青雲ー落款」


posted by kanno at 05:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

海栗(ウニ)の、開口

「夏至」前までは、なんとなく寒い日(気温20℃以下)が続いていたのですが、昨日から気温25℃前後になり、ドンヨリした空も晴れ、ひさしぶり天気と、暖かい日中の出来事です


昨日午後、ウニの開口の放送があり、漁業権のある漁民が、朝7:30分の開始合図でイッセイニに船を走らせて磯場に向かいました。終了は10:00までです。


長い竹棹の先についた、タモを使い、海底の岩場付近いる場所を目掛けて、船上よりタモを操り、今が旬の「ウニ」、山の栗に似た、棘が一杯のウニ取りを陸から、見学。


写真のとおり、コンクリート船着場、昔はこの船着場の下に多くの岩礁があったのですが、地元を知らない方が船着場設計したら、岩場のほどんとが、コンクリートで固められ、漁民の荷揚げがラクになりました分、貴重な岩場が消滅したのです。


今年は、浜値が安く自家消費ということでの開口ですので、漁民には気合が入らないのが心配です。都会の鮮魚店などを見ると、結構高いのですが、浜値は「わかめ・昆布」とも安くて本当に心配です。どこでこんなに高くなっているのか不思議です。
奇怪な現在の流通は、ものつくりの衰退に拍車かけているのが、気になります。





2006年06月19日

平凡パンチ・創刊号(昭和39年)

1964年5月11日付け発行された。(昭和39年)42年前の出来事から。
「平凡パンチ」創刊号が、物置の段ボール2個から100号までが纏まって、出てきました。その後も調べないと何号までか不明です。中味を開くと、当時の世相が、まるで昨日ごとです。

東海道新幹線が10月の開通に向け、そして秋の「東京オリンピック」と、日本国中が戦後のどん底から這い出す、大きな節目の年でもあります。
40年ぶりに日の目に見た「平凡パンチ」創刊号は、全体は多くの男の回し読みで、ボロボロでしたが、ダンボールの中で生きていました。

表紙は、大橋歩のイラスト、4人のオトコがなにやら立ち話と、1人は当時メジラシイスポーツカーに乗り、車のドア「 THE MAGAZINE FOR MEN」当時の物価は忘れたけど、創刊号 ¥50.−
http://www.iog.co.jp/book/punch.html





目次 グラビア「女・加賀まりこ」■ ワシントン広場の若者たち ■ハロー・レディス ■社員と社長
トップ記事 特集 鈴鹿グランプリ・レース・・・・国産車と外車の対決
特集 自由化で激増した無銭旅行の若者たち
珍説・長島の花嫁は幸福じゃ―五味康祐
三大連載小説・悪い星の下でも―今東光・・・・夜の交差点―戸川昌子・・・・死人狩り―笹沢佐保
今週の座談会―「デートにセックスはふくまれる?」―おんなの研究・司会―吉行淳之介
ページ134くらい、

当時の表現すれすれの文言など、やはり隠さなきゃならない表現に苦労のあとが見える。
創刊記念クイズなどには、長島茂雄の写真に「いすゞ・べレット」が1台あたるなど。
これから中味の確認。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時の 世相 http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventJan96/1964.html




posted by kanno at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 草創期の「平凡パンチ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

博打・博労・馬鹿五十集・後に続くは鉄砲ブツ

題の漢字を続けて読むと、
「バクチ・バクロウ・バカイサバ・アトニツヅクハテッポウブツ(現在はパチンコか?)」

何の乞っちゃい???、全国各地に色々な「例え話」がありますが。
これは昔から気仙で、言われた言葉です。(クスクスフウフウ 笑)

意味は「短楽的に大儲けする」と言う事の、例えですが、人間は生来、ラクをして過ごそうとするのを戒め。
長続きしない、ソノバ限りの儲け話。(馬鹿・笑)

今の日本に、この言葉が一番あうんではねえのかな。(ジャパニーズの大旦那・笑)
何とかファンドが遣ったことは、胴巻きに小銭を一杯に持った「博労(ばくろう)」商売じゃないの。

国を治めナキャならないトップの、カッコいい言葉に、それ行けとばかりに、マネーを儲けましょうの言葉に踊らされて、狡賢い輩に、浅はかな気持ちで(欲深い井戸)銭を預けて「利」さえ生んでくれれば、後は野となれ山となれでは、正直者が馬鹿を見るなんて、テメラだけが判る「ムデッポウな法律」をつくり、旨い話に「マスコミ」が乗っかり、そして煽り、それを馬鹿踊りに踊って、終わったらくたびれもうけだけが残り、美味しいところは踊りを指揮した、握り拳ほどのやつが全部持ち逃げとは、欲深いのもいい加減にしたら。

ITの何とかさんに何とか氏と、何とかファンドの超頭脳が良い、欲深さん、其処にお金を預ける、間が抜けた、オジン・オバさんよ、儲かって良かったね。良い時代だよね「沈黙は金也」と昔の言葉が、今でも生きてて使えるなんて、ドンナに時代が進歩しても、「人の世の心」は変わらないということだね。
そして、「義理も法」の一欠けらもない「アンコ」よ、アンダが、大きな「魚(ヒト)焼き釜」に入るまで、ワンサカ儲かて、札束の棺桶を作って、2000年後に21世紀の遺跡として、ナントか「ITファンドオオカネヤマ遺跡」から、訳が解らん「ジャパニーズエン・ゴールドカーメン」が発掘されたと、大きな話題になるのが目に見える感じ。(悪夢だろうな・ふ、ふん−)

今の日本社会の現状、「バクチ」で儲ける手法が罷り通り、遠からず崩壊が近ずいている感じがする。

戦後、農家の庭先に良い牛・馬があると、大きな胴巻きに銭を一杯入れて、態々見えるような格好の「バクロウ」が、牛・馬の持ち主と売買交渉をよく目にしたものでした。家族が病気だったりすると、貴重だった「銭」が欲しい牛・馬の持ち主と、安く買って、高く売るのが「バクロウ」の交渉なので、銭をチラつかせ、世間話で得た、持ち主の褒めごとなどを並べ、ベタベタに褒めてからそして転ばして買う。売る時も同じで、買った持ち主が生活に困っているのを見かねたなどと抜け抜けと並べて、助けるために相場より高く買って来たので、俺の手数料などは要らないからと、ナントかと拝み倒して売りつけるのを見ていたもんです。まあ、時代が変わっても人間欲を旨くついた、「弱みと欲深い」の読みは今考えると正に、詐欺師でありながら、売買の奥の手だったのだなと考える。

「馬鹿五十集・後に続く鉄砲ブツ」は、後日∞∞∞∞∞∞∞∞∞


posted by kanno at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

故 谷卓郎先生(土壁・左官研究の第一人者・「職人」遺稿集)

今から、11年前(1995年9月)のある日突然に、どのような所からか知らないが、谷 先生が亡くなったとの知らせ、葬儀の日にち場所などがFAXされてきた。とにかく仕事をほっぽり出して、東京立川の祭場まで駆けつけたのが昨日のようです。
現在、全国の色々なところで、職人伝統文化、国産材の見直し、「木と土」の文化の、復活活動に最初に「火を付けた」のが、職業能力開発大学校 建築工学科教授 谷卓郎先生が、張本人の1人だと、確信するものです。
又、その、強烈なバイタリティーに、圧倒された1人です。




昭和50年代後半、埋もれていた「気仙大工」の調査に、当時の、文部省が予算をつけ、日本の8大学の建築学教授、研究者、大学生などが、未開の地の「気仙」に大挙、殴り込みにきたのです。歴史上、地理上、日本のほどんとが知らなかったと言っても過言でなく、「気仙」にスズメ蜂の巣を突いたような出来事だったのです。
気仙に来た当時の谷先生は、30代後半、鮪で言うと今から油が乗っていく時期でもあった。調査の内容などを今、読み返しても、的確に表現されているのには脅威を覚えます。1942年、四国松山生まれの先生に出会いたのは今の自分に取って大きな影響があったのだと想う.その後も先生が、気仙の催しごとがあるたびに声をかけると手弁当で馳せ参じ、色々な角度から「土・鏝・技・職人史学」等全国の実例を交えての話、引退した老職人などから色々と聞きメモしていたのが印象と、木造建築についても造形が深く、大工らにも丁重に師事していたのを思い出します。本当にこれからの時代に無くてはならなかったのが、余りにも旅立ちが速かったのが残念で仕方が無い。−拝

この活動がキッカケとなり、木造建築研究者の横断的な活動組織が構築され、昭和60年に「山・ものつくり職人・木造建築」を当時、内田祥哉東京大学教授をトップに発足の「木造建築研究フォラム」が全国的に結びつける組織として発足した。全国各地の「山」「ものつくり職人」を尋ねて活動、その裏を支えたのが、職業能力開発大学校の下部組織、各地の訓練校をネットワークにして下地つくりした、谷先生の功績だったが、谷先生亡き後、裏方に積極的な方が居なくなり、研究者のみの、小さな組織になったのでこちらも卒業、その後出来たのが、「NPO緑の列島ネットワーク」が形変えた「山・ものつくり職人・木造建築」の全国組織である。




葬儀後、参列の先生方数人と忌み流しを兼ねて、アルコールで暫し谷先生の、生き様談義から、谷研究室に未公開の資料が大量にあり、志半ばで去った先生が残したものをマトメヨウと言うことになり、一切、手を加えずに谷先生と関係者に読んでもらうと出版したのが、「谷卓郎著作選集−「職人」―(人・技のほどきむすび)」という253ページの資料集でした。とにかく買ってもらいました。割り当て分はこなして、今残りは数冊で次世代の伝統建築を目指し方々の一助になればと想います。

先生は気仙でも、「左官−気仙壁」には特別の思い入れがあり、当時、我が町の「気仙大工左官伝承館」建設時には、萱葺民家の復元、土蔵の復元を計画しておりましたが、地元の一部めだつがり屋や、利権屋の考えで、工法も知らない方の意見がとおり、チンケナ萱葺民家を復元、流を知っている関係者からは、顰蹙をかい恥ずかしい限り、そして谷先生は、日本左官連盟の協力をもらい本格的「土蔵」復元して残したいと努力したのですが、時の治世者、利権屋の鶴の一声で、鉄筋コンクリートの「土蔵」をつくり、本物を作ってきた職人をガッカリさせたばかりか、谷先生はじめ、縁のある先生方の足が遠のいたのも、地元を牽引する、時の治世者に大きな理解が欠けているのが判ったのが原因。




今また、時代に逆行、地域材活用、木つくり職人文化の発祥地が、学校建設に中途半端な、木(少しばかりの慰め程度)・鉄筋コンクリート・集成材で校舎を建設中で、多くの地域住民、木材関係者は地域活性の起爆材として望んだ「木造校舎」はこれから何十年と、恥かしい建物として残って行くのでしょう。
その前に建てられた木造校舎がまだ使用しているのに、その後に出来た、鉄筋コンクリート校舎のほうが、使用不能になったので建替えなんだど、そして、木造の学校造るのに、設計士が大変なんだど、部材の種類が多く、数は少なく手間ばかり掛かるし、それに比べると型枠・鉄筋・生コンは数が少なく、大量に使えて、その上防災上も安全度が高いと説明されると、そのことに反論しても、駄目なんだど、その上、裏には銭を狙う大きな『虎』に爪を伸ばされたうえ、目の大きなトラに睨まれると、皆、萎縮して後は、成るようにナレでは、「最果ての地」は遠からず、チッポケナ合併より「米国」とでも合併しないと生き残れないのが、本音じゃないの、ネエ、日本国の大旦那殿。・・・・・・・・谷先生、またも気仙はコケチャタ・・・・・・・言い訳出来ネエ・・・・・・御免なさい。ハイ

合掌

非売品(作成印刷協力金5,000−)「谷卓郎著作選集−「職人」―(人・技のほどきむすび)」資料集は残っているかどうか、当時、「滋賀職業能力開発短期大学校」が発行、編集人杉本誠一教授でしたが、興味のある方は問い合わせてしてみてください。
尚、中味は 1. 論考 1. 学位論文 2. 精選2題 3. 技能と職業訓練 4. 木造在来構法 5. 建築防火 6. その他

日本の壁

写真

1.職人遺稿集 表紙

2.気仙での左官のシンポジム

3.気仙大工、地元調査

4.INAX社「日本の壁」¥1500.-



posted by kanno at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

旬の「暴騰」、日本人の口には入らなくなるかも。?

今、三陸の浜に異変が起きております。
今の時期は、見られない「スケトウタラ」の水揚げです。
寒い海にいるのが、沿岸定置網に入った話題、やはり海にも大きな異変がおきているようです。

写真 天気が良いと内陸に向かって冷たい海霧が陸に迫ります。





そして寒い日が続いており、数年に一度来る嫌な「ヤマセ」も発達して、田んぼの稲など生育にも影響が出始め、このまま寒くては大変な事態に、米の不作が予想されます。
自然界の異変は「天」だけではなく、「地」や海にも連動し、何年かごと予想される「宮城県沖地震」がいつ来ても可笑しくない状態なので、生態系を注意深く観察して、予想される事態にそないなければ。

写真 海霧(ガスとも呼ばれます)川の上流を目指してどんどん昇ります。





また、隣国の韓国から、大量に「ホヤ」が買占めで、値段が何倍にも暴騰してきました。
その上、海水温が低いためか、養殖ものは養殖綱から外れてしまい、養殖漁家はてんやわんやの状態になり、漁家は早々に切り上げて、高い内に捌いてしまわないと大変なことになるのではないかと心配の日々です。

写真 珍しい、巨大な6年ものほや、普通に出回るのは4年もの。






「ホヤ」は1年や2年では口に入らないので、実が綱から外れることは、来年、再来年にも大きな影響が予想されるのです。 年初からの天候不順は、日々の生活にも様々な影響が出始めたようです。
このグロテスクな「ホヤ」が皆、韓国に持ってかれたのでは酒の摘みがなくなり、旬でも高級料亭ですか、食べられなくなります。

写真 グロテスクな外側と「口と排泄物」の+・−





「山海の珍味」がどこかに、流れてしまいます。
全国の美食家の皆さん、さあどうしましょう。・・・・・・・・・・・

産地の1例と料理の仕方が掲載

身体に良い「ほや」

この形が奇妙な「ほや」に+と−があります。自然界は人間界より早く+−が合ったんですね。
ほや「+」は口、「−」は肛門として排泄物の放出のためにあります。ようく見てください。

写真 ほたての一年もの売り物にしない廃棄用をユデアゲテ摘み




2006年06月07日

世界的なエベント「チャレンジデー」

写真 爽やかな早朝のコース

爽やかな早朝、5月31日水曜日、「世界が健康」を、モットーのテーマ、日本全国というか世界的なエベント「チャレンジデー」が、午前0時の真夜中から午後9時まで開催、毎年5月の最終水曜日、人口規模がほぼ同じの全国93自治体同士で、15分以上継続してスポーツや運動した「住民の参加率」を競い合う チャレンジデーを開催した。

日本の主催者は、「笹川スポーツ財団」が呼びかけに賛同した地方自治体に健康意識高揚の協議大会。





写真 三々五々参加の地区民が集る

午前0時から午後9時までの間に、我々の「双六地区」83世帯も、早朝より老若男女の面々が集合場所に集い、代表者があいさつ、ルールなど説明後、午前6時公民舘いりぐちから出発、約2kmの市道を徒歩・早足で、回りました。
当市、「陸前高田市」は山陰島根県に、新しく合併した「北栄町」と参加率を競うことになり、結果は7.4ポイントさで当市が勝利しましたが。両者とも、参加率クラス金メダルを獲得しました。






写真 競技の説明

早足の小中生、高校生などは大人の半分の時間で目的地にゴールしました。
早朝に出られない方は、住んでいる地域を歩くようにして、老若男女の1日が終わり、各家の申告により集計を行い、陸前高田市の参加者(20,998人/26,656人 81.8%)相手北栄町の参加者 (12,421人/16,696人74.4%)の成績でした。




写真 マイペース組み

毎年、地区役員(会計と言う役、格好良いが地区の使い走りと言う役)は催しがあるたびに、準備・片付け整理と、テンヤワンヤで、無報酬に役務上、時間と車の燃料代自腹で、2年間役職を全うしなければならないのが苦痛であるが、6〜9世帯を与る班長はもっと大変、毎月、納税、水道使用料、地区運営会費、募金等まだ多くを世帯ごとに回り集金に、毎週来る市と関連団体からの回し物と、本当に大変である。

高齢化・少子化で10年以上前の景気の良いときに比較すると、施設、地区の周囲の管理物の老朽化など、直ぐにでも遣らなきゃならないことが多く出て1度には出来ないので、計画を立て、今、直ぐのと時間かけてやるのを分けて、行うようにしなければ大変です。・・・・・・・・・




写真 まもなくゴール、ポカリスエットが参加賞

地方自治体の予算がないないで、昨年から7地区を集約した市が奨励した、役所の丸投げ下請け「コミセン自治組織」から、500円アップして1,500円会費の値上げの要求、とにかく、1世帯あたり強制負担金(考えようで別な意味で「市民税」の2重負担であり、年金、高齢世帯生活者に関係なく)を世帯数で要求、年度初めに地区住民のアンケートの結果、減額交渉せよの%が多くてその交渉と、頭が痛いことばかりの日々、それでも「区長」よりは楽である。
区長は息つく暇がないくらい行事の多さと仕事とで可愛そうに見えて、隣で頷く以外にない毎日です。・・・・・・

交渉の結果「コミセン自治組織」の決算の中味。

予算・決算内容、総計の内、事業費1/4・・・・・人件費約3/4である。各地区の役員は無報酬で活動しているのに、市と各地域の間の組織には、人件費があり、各地区の世話役はそのような中間組織に納める為に一生懸命、集金する活動ってミニの中央官庁スタイルと同じではないの、誰が選んだのか不明な役員人事などは、一部関係者のみなのか。市に聞いたらあくまでも自治組織が決めることで、市は関係ないの返事でした。???・・・・後は黙して語らず。知らぬが「仏」でなく、ホットケ見たい。
もっと次代を考え、先を読み、行動してもと思う。
そして、こんな所にも「狩猟化」の波が来ている。「農耕民族」どこへ行ったの。???

総会は地区代表の意見は無視して地域住民全体が何のためにあるのか、説明責任が不明な組織団体である。?????・・・・・・そのための「暇たっれ」が多すぎる。

経費節減を叫びながら、減った分が末端の住民が全部背負う、こんなのは経費節減隠しに見られておかしくないんじゃない。・・・・・・・・・・・・・・国も県も市も、きれいごとが余りにも多く、何にも減っていないし、しわ寄せは何も知らない住民である「国民」なのだ。

知らないやつがアホだと思われている。

「可笑しな仕組みの日本社会」の毎日の日々・・・・・・・・


陸前高田市チャレンジデー、ホームページ

北栄町チャレンジデー、ホームページ

東海新報記事

対戦成績の結果

カテゴリー3の成績





2006年06月06日

「ま」を、忘れた現代生活と、家つくり

年々、身近な暮らしが殺伐としてきたのは何故だろう。
現在、日常茶飯事になったみたいな、「人殺し、人騙し、隣人との諍い」、国を導く輩のペテン行為と、後でバレルのも判らずに、その場限りの逃げ口上と、マスコミの報道を見たり聞いたりしていると、按ベイが悪くなるのは自分だけだろうか。

建築の方から考えると、昔を賛美するわけではないが、「家」つくりに、オオラカサガ無くなったということです。
自分さえ良ければ、隣は何するヒトゾの、考えでは隣人との共生は無理ではなかろうか。

写真 土庇しと縁




根本である精神、無責任官僚が作ったスナリオペースに乗っけられてケダモノ化(狩猟民族化)にした現代、「日本国運」と言うものは、戦後アメリカ主導でつくられた「国家憲法」が日本人の精神まで、バラバラにしての、現在の繁栄が、今後も長く続くとはとても考えられないと思う。
「個人・夫婦・家庭生活」「隣人・地域」にせよ、自分済、良ければ、後は野となれ、山となれでは、冒頭の「人殺し、人騙し、隣人との諍い」が、益々激しくなり、堕落世界が見えてくるのではないでしょうか。

問題として考えられるのは、すぐ隣の人との間に、日常会話がなくなってきたのが、最大の原因ではなかろうか。
家を造るのにも、自分の敷地内に、隣人を入れないつくりの考えが最大の問題です。
もちろん無闇やたらに、入られても気分が良くありませんことはわかりますが、どうしても、何かが起きる前に、お互いの意思相通の欠如が昔に比べると無くなってしまったのが、現代の地域社会生活の大きな欠陥だと思う。

写真 居間との繫がり重視した縁





最初から外界を遮断した家つくりの設計が、住む方の日常生活に劇的な変化が生まれたような気がする。
見た目の生活で隣人を判断し、嫉みなどを生む土壌が作られているのです。 
最低でも3方の隣人には道路を使わないで、行き来があるべきでは無かろうか。
お互いに最低で良いから、「濡れ縁」があると隣人が家の中に入らずとも用事の処理、会話等が出来、地域の共通話題が話せることが必要であり、笑いる場つくりが、建物にも必要と痛感するものです。
現在の住まいつくりは、借金住宅のために、そこに「住む」という根本がないため、地域性まで失っているのは、地方のミニ団地などに謙虚に現れているのです。(秋田の小1事件)
そして、10軒の内、9軒以上が縁側ないということです。
建坪など部屋を考えた時に、設計者などは無駄な面積だという方が大半です。
欲を言い場、土庇しが、あると多少の小雨程度でも、お互いに「間」が取れるのではなかろうか。
そこには、世間話あり、子育ての話、生活上の話など数多く生まれると思うのである。

写真 野良仕事に使え、周囲田んぼ作業の隣人とのコミニケションの場




それというのは、昔、子供の時に遊んだ経験から、他所の家に遊びにいっても、座敷とかの部屋にはその家の子供たちすら入れない家があり、それは「結界」というお互いの暗黙了解が、生活の中にあったからではなかったのではないか。

現代の住まいつくりの最大の欠点は、社会との隔離した住まい設計に大いなる問題が潜んでいるのではないかと考えます。その意味においても、最低でも良いから、隣人を中に入れないで会話できる「濡れ縁」、贅沢を言うと「土庇し」、小さくてよい「縁側」を設計の中に入れてお互いが理解できる「家」の復元が、多少でも地域問題が解消できるのではないかと思うし、外と内の「互・縁」が設計者にないと、どんな格好の住まいを設計しても、社会から、隔離した閉鎖建物はなるべく考えてもらいたいものである。

写真 縁つくり




「ま」とは、温度、空気の流れ、隣人との共同生活には無くてはならないと思うし、先人が「ま」と生活の中から自然発生してきた、暗黙の社会生活の「ルール」だったのではないかと考え、互いに「縁」と言うものをもっと、考えて行動したら、色々なことの問題が解決すると想うものである。

写真 老夫婦の家の縁





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2006年06月04日

暫らくぶりの「須川温泉」

須川温泉の案内

http://www.isop.ne.jp/sukawa/onsensyoukai.htm

山案内
http://www.isop.ne.jp/sukawa/tozanannaizu.htm

5月の天気の良い日、ふらりと2時間半ほどで行ける須川温泉に、年寄りと、1才半の幼子に大人3人、まだまだ残雪があっちこっちに多く残る。
岩手・宮城・秋田の3県にまたがる、「山」(別名 須川岳(すかわだけ)、酢川岳(すがわだけ)、大日岳(だいにちだけ)、駒ヶ岳(こまがたけ)などと呼ばれる、栗駒山(1627.4m)の、頂上に近い、直下に車で行ける須川温泉(1,170m地点)に行って来ました。

須川岳(岩手)大日岳(秋田)栗駒山・駒ヶ岳(宮城)の呼び名です。




昔から、胃腸病などに効能があり、5月〜10月末まで開かれており、黄金週間、秋の紅葉には足の踏み場ないほど賑わいます。岩手の南玄関・一関のR4号線から西に秋田向け、R342号線を車で1時間くらい(45km)掛かる、途中真湯温泉、冬ゲートまで(28km)までは、なだらかな平坦を走り快適そのもので、走るに従い遅い桜の花見をしながらのドライブです。
それも束の間、ゲート過ぎると急カーブの連続、後に乗っている大人が車酔いになり、目を閉じたままです。途中からは、道幅も広くなり、目的地が近くなるに従い、道路脇には残雪の山になり、道路を雪解け水でビャシャビャシャです。ようやく目的地の、須川温泉の大きな駐車場に到着。




岩手・宮城・秋田3県を跨ぐ、山なので、駐車場からは真西に鳥海山の雄姿が見られたに続き、北は岩手山・東北に早池峰山、東には五葉山、須川の頂上に行くと南西に山形の月山・南は蔵王山並が見えるのと、泊まって早朝には太平洋からの日の出と、夕方に日本海に日の入りが見られる山としても有名なのである。




大広間に陣をとり思い思いに横になり、普通の日だから混んでおらず、ゆっくり出来た。年寄り子連れでは、案外気楽なのと大風呂に2回も入り、骨休みには1番である.この日は、出る時には天気が悪くていたのが、気仙と東磐井の峠を越えたら、まるっきり天気が変わり、快晴なので沿岸と内陸の天気の違いがはっきりしたことでもある。早速、千人風呂へ




大きな「千人風呂」は、昔は仕切りがなく、入口が別なだけで混浴であったが、今は湯治客より、日帰りフリー客が多いため、完全に仕切りされ分かれています。湯量が1分間に6000リットルと沸いており、湧き口に行くと熱湯の吹き上がりが圧巻です。そのまま川のように流され、途中には露天風呂なども作られて、同じ入浴券で色々な体験が出来ます。湯治客が主に行く「おいらんの湯」などは湯治場から離れた高台の山小屋風の中に、地下からの蒸気が出ており、そこに茣蓙を敷き、横になり患部にあてる療法が、後でジワリと効くのである。3時で日帰り客が終わりなので、数時間をノンビリできた1日でした。

写真

1. 須川温泉駐車場から、須川岳 の遠望

2. 駐車場の残雪、偏西風が運んだ大気汚染公害、西の超大国汚染の後

3. あっちこっちに見られる、湯の井戸もの凄い勢いで沸いています。

4. 湯の滝が川になる

5. 露天風呂から見る溶岩で出来た奇岩







 
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