シンタックホーム 菅野照夫
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2006年05月31日

旧暦 端午の節句

女の子のひな祭りが終わると次が、端午の節句、五月晴れの空に鯉幟、男の子の祝ごと「鐘馗様(しょうき)」の幟(のぼり)をたてるのは、三韓征伐の故事に寄せて祝うのだと伝いられ、鯉の吹流しを立てるのは、鯉が出世魚だからとことで、童男のために祝う意であるといわれる。今日が旧暦5月5日、端午の節句なのです。この辺りは旧暦の方が自然界ととても合います。




「菖蒲」を祭る屋根葺きは悪鬼を払う意味と、鎌倉時代から武家の節会として行われ、軒を葺くだけではなく、火難よけ邪気を払うということで、髪にさしたり、酒に浸したり、湯に投じて浴したり、武家行事が民衆にも広まり、旧の五月に屋根修理を行わないのが、近年まであり何故かと言うと、その時期は毎日雨模様の「梅雨」を避けるという意味で嫌ったのだそうです。
また、邪気をはらうということで酒に浸しての菖蒲酒、芳香しても持ちえて邪気を払った。





節句に餅、祭りや行事などの晴れの日の食物と聞いている。
柏の葉に包む「柏餅」も、長期間保存が効くという、生活からの中から生まれた保存方法なので、生活変化の大きな違いで現在は珍しいものになり、生活上の手抜きと言っても良いだろうと思う、今日現在、新暦では5月末ですが、本当は梅雨に入り節句を迎えるのが当たり前なのですが、今年はやはり、「太陽と月」がうまく回らないようである。





今の餅つきの、「臼と杵」でつくのではなく,水に浸した餅米を機械に入れて蒸して、その間々電気を切り替え後、中のプロペラが回転すると餅になる、突くと言うのではないので、突いた餅と言い難いのでは思う。




昨日ブログでも書いた、柏の葉が季節のズレでまだ幼葉だと書きましたが、神仏に供えるのだけで、人の口に入れるくらいに成らないのである。
端午の由来も、歴史が古く、只たんに行われて来たのではなく、次の時代を考え、子孫に繁栄を願い、天地の災い除けよう科学的な根拠などではなく、「政」の一大事に天皇・武家に伝わりそれが民衆に溶け込んできたようです。

旧暦の五月屋根工事を行わないのは、梅雨の時期の天候不順であるも、その意味でわかるのでは・・・・・・・





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2006年05月30日

藤の花

太平洋側を仙台から北へ八戸までの国道沿い、R45号―基点仙台から150.5qの斜面に咲く藤の花、色々な花の開花が遅れているのに、この花は暦とおりに咲いています。




今年のような季節のずれが謙虚に現れた年は、色々と気をつけて観察してないと、どのような天変地変があるか判らないから、良く自然界を見ておけと古老にいわれていたのを思い出しました。




明日31日は旧暦の端午の節句(5月5日)です。
柏餅を包む、柏の葉の形、今年はまだ赤ん坊の手のひらサイズです。もちろん色も薄く、本当に小さい。




やはり、「太陽」だけで、我々の暮らしていけないのが判ります。「月」の動きにも常に感心を持っていないと、自然界だけではなく、人間界にも大きな影響があるということを認識するべきある。




今から110年前、当時の記録から、旧暦の端午節句と言うと過去に、次のようなことが起きております。それは未曾有の大災害の記録です。(詳しくは後日)

調査の冒頭文
明治二九年六月十五日午后八時、
三陸大海嘯千古未曾有之大害 宗真
岩手懸管内沿岸被害地四郡三拾七ケ町村、
字百九拾部落数月間巡回視察セシ
条項数十訴ノ内一班ヲ記スモノナリ

何で、五節句があるかと言うと、別の意味は、江戸時代から公休日、農耕民族の名残なのです。働きづめの女の公休日だった。
実家に帰れる日でもあり、その時に帰り「三陸大津波」で嫁ぎ先に帰る事なく、子供もろとも海の藻屑と消えたのです。

―1月7日―七草
―3月3日―ひな祭り
―5月5日―端午
―7月7日―七夕
―9月9日―重陽



2006年05月29日

古民家を快適な住まいに改造したら「有形登録文化財」県1号に

昨日書いたブログ不足を書きます。

空に向かって、「古民家」を残そうと叫んでも、何の返事も返ってこない。・・・・・・・・・・
1996年の文化財保護法改正により、従来の文化財「指定」制度に加えて、文化財「登録」制度が創設された。

現在、もちろん行政だって、持ち主に「有形登録文化財」にと、何んて死んでも言う気がない。それは余計な仕事を持ち込んで周囲に嫌がられるのなら(自分らの姑息な縄張り維持)、遣らない方が良い、どんな法律があろうとそんなことは、自分らには関係がないと決めている。

そのような部署を含め、担当にはなりたくないのが本音であり、入口の市町村窓口に、別ルートで「国」とか「県」とかから、直接書類が上がっていないかと問い合わせに、確かに上がっています。

何か問題があるのか。???? いや・・・・・忙しいのでまだ処理していませんが、返事である。それが何ヶ月も、書類の山に埋もれている。そしてなるべく手を付けたくないが、行政側の本音だったのです。「有形登録文化財」は受けたくないのの、入口は「市町村」なのだと判りました。

それは全部ではない、全国には逆に、その「法」旨く活用して、地域活性化にしている「県」もあり、また観光の目玉にして、「古民家」を癒しの場にしたり、「食」と関連した商売に利用したり、その法の運用次第では、古民家の再認識、次世代に対しての生活の教育など、考えたら幾らでも利用価値があるのに、法の執行者である地方行政のトップに、時代を読む能力がないと、地方文化の破壊して行くだけであり、その終末は行政経費の削減に飲み込まれ、職員数の削減、給与の減額と、これから降りかかることの重大さに気付かず、手を拱いているのが現状だと、この頃ようやく、わかりました。

政党によっては、市民の味方を謳い、国民には我が党は国民の生活基盤を守るなどと大風呂敷を並べ、支持を訴いていますが、一歩下って考え、見ていると欺瞞にしか見えないのは自分だけだろうか、もっともっと地方活性化に、あらゆる「法」の、運用を国民に知らせ、訴えていくのが政治家ではなかろうか。それは政治家だけに問題ではなく、市民と共に身近にいる、市町村の職員が目覚めないと、地域文化崩壊が目の前に来ているのを早く気がつくべきだと思う。

また、持ち主や所有者に理解を求めるために、今すぐにでも「文化財保護法」を勉強して、市民を説得する資料を行政のトップに示し、地域文化の崩壊を食い止める努力をするべきである。それが現在の我々に課された大きなテーマである。

最初に書いた、「文化財保護法」は「指定」制度と、新しく文化財「登録」制度が出来たのだということなのです。「指定」「登録」の分別あってしかりで、一緒に混同しないことが重要なのです。そして、「有形登録文化財」に指定ではなく登録なると、固定資産税が二分の一に減免されるのです。行政側は税収が減ることだけ心配せずに、多く「有形登録文化財」が町にあると、それだけで観光客が来るという、大きなメリットも考えるべきある。

次回は萱葺民家改修、「有形登録文化財」1号について。




posted by kanno at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 古民家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

町並から消えた「老舗の宿」

町並から忽然と老舗の宿が消えてしまいました。・・・・・・・・・・・・・・もっと大げさに言い場、今泉の町並が消えたいっても過言ではないのではないか。

前のブログに書いた、姉歯橋が架かる橋のたもと、気仙川の川沿いに、客室から川を見下ろし絶景は「川開き」の時は最高でしたが、藩政時代から栄えた伊達藩の北の要所であり、大肝いり吉田家の集落「今泉」が時代の波には勝てず、歯が欠ける様に毎年消えて行き、その痕には今泉の町の風景に、似合うどうか判らない、鉄筋のマンションが建設されています。




時代が、老舗では維持できなくなって来た。
常に流行に左右され、そして翻弄され、効率と言う名の経済の仕組みが出来た今、所有者に何とか保存できないかと、御願いも出来ないのが実情なのです。
せめて「登録有形文化財」にでも成っていたらと考えると返し返しも残念である。
気仙川べり、威風堂々と姿は、何処から見ても、本当に素晴らしかった。もちろん川向にも大きな木造の旅籠があったのと、昭和50年代後半、当時の文部省が国費をかけて、東京大学など、8大学が共同で埋もれていた「気仙大工」を調査することになり、毎日、気仙地方調査の後、オンボロの木造旅館に寝泊りし、車座になって、酒を傾けながら、建物談義に花を咲かした宿も、20数年前に取り壊され、工業化住宅Sホームで建ち、もう当時の面影がない。




只、文化財と聞くと―99.99%―の方々は、指定に対して拒否反応を示す、聞こうしないのが実情なのです。
「有形登録文化財」にすると勝手に修復などに手を付けることが出来なく、現状でも不便な生活しているのに更に拘束されるのは嫌なのは、誰でもわかります。
しかしそれは、文化財を正しく住民に説明しない、行政に大きな責任があり、現在の政治は地方抹殺を狙っているとしか思いないのである。そんなに不便を強いる「登録有形文化財」ではなく、大幅な変更さいなければ、後は自由に変更できるので「重要文化財」と同じだと混同しての、考えなのです.もちろん半永久に住んでる方に義務、責任を押し付けるものでもないのです。その辺りの説明不足が、時代の波に乗り遅れるのが地方の実情なのです。




それはゼンゼン勘違いなのです。
文化庁のHPを探して読んでみたら判ると思う。
そんな拘束するなんてなにも謳ってないのです。
誤解、誤解です。
幾多の修復をしながらも、重厚な木造建物とナマコ壁の土蔵がもうありません。本当に町並の入口として、商売してきたのが消えた傷は大きいと、風景から無くなって、周囲が気がついていると思うし、また所有者に対し、行政の説明不足と町並破壊に加担した責任は大きいと思う。

下記を読んでいただければ理解されると思う。何の拘束文は見当たりません。




――――――――――――――――――――
登録有形文化財
◆◆制度の概要◆◆
 近年、近代を中心とした多様かつ大量の文化財について、その歴史的重要性の認識が高まる一方で、開発の進展、生活様式の変化により、これらの文化財が社会的評価を受ける間もなく、消滅の危機にさらされている状況にあります。
 国民の貴重な財産である文化財を幅広く後世に引き継いでいくため、平成8年6月、文化財保護法の一部を改正し、導入された文化財等登録制度です。
◆◆登録基準◆◆
 建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、原則として建設後50年を経過し、
 (1)国土の歴史的景観に寄与しているもの
 (2)造形の規範になっているもの
 (3)再現することが容易でないもの
に該当するもの。
――――――――――――――――――――――――――――――――





posted by kanno at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

千葉周作と「赤胴鈴之助」

赤胴鈴之助

千葉周作


第二次世界大戦に敗れて、12年目(1957年)当時の娯楽というと「映画の全盛時代」、子供らの情報源には、ラジオ放送が唯一の楽しみの時代、大相撲が終わると夕方6時頃から放送され、ラジオが余りない時代ですから、ラジオのある家に餓鬼どもが黒山に集り、聞いたもんです。
その時の「声」に、今は往年スター「吉永小百合」が小学校時代、北辰一刀流「千葉周作」娘役(さゆり)の子供の頃の声を聞いたのです。




その千葉周作が、我が町が「生誕地」なのです。
仙台から北に通じる海岸沿いを「浜街道」、そして五葉山を源とし発する、当時の鳴瀬川(現気仙川)の川岸近くで誕生、浜街道が鳴瀬川を渡り北上、その橋の名前が、偽装問題の設計者の苗字と同じ「姉歯橋」です。




生誕説は宮城県側の郷土史調査する方が、色々と実施調査した結果、宮城ではなく、同じ伊達藩の気仙郡が生誕地あると結論出し、生誕論争が幕となり、現在は生誕地を記念して、毎年、陸前高田市において少年剣道大会が行なわれています。




昭和の始めに架けられた橋は、前にブログで紹介した通り、約400m下流鉄骨の永久橋となり、70有余年へて、現在も交通の要所になっています。




千葉周作は、幼少何年も生活せずに、獣医だった親の都合でこの地をはなれ、地方を点々として、現在の松戸に落ち着き、剣道の道を開くために、神田お玉が池に「北辰一刀流千葉周作道場」開き多くの、剣士が育っていったようです。

写真

1. 橋のたもとに「千葉周作」記念碑

2. 同じ

3. 浜街道の説明

4. 400m下流に現姉歯橋

5. 干潮に顔だし木の橋脚痕




2006年05月24日

46回目の「津波避難訓練」2

市、主導の「自主防災訓練」という名の元で、今回も訓練が行なわれたが、H15年5月26日の「三陸南地震」の時を思い出して、果たして早朝、真夜中など時だったらと思うと、準備と予告編ありでは大きな違いがあると感じるものである。

無邪気な子らに、自然災害と言うものをどう伝えたら良いのか、「スマトラ地震・津波」などはテレビで見、よそ事ではないのだと教えることの重大さは、大人の大きな大きな責務だと思う。




色々な災害が無いに越したことはないが、この地球が自転・公転を繰り返し、極端に固いようでありながら、卵みたいなやわらかな形、そして中心部は燃え滾る溶岩の活動が、人間には感じえいくらい動き、何も無ければ当たり前の毎日の日々、そして予告ナシ突然に来る、地震にはどのようにしたら良いか、右往左往する「動物」世界、建物なども、国のマニアルで作り、壊れても国は関係ないルールって可笑しいんじゃない。




専門家の考えだけが正しくて「口伝」などは徹底的に否定すること事態、頭の良い方の驕りじゃないの、木の家ブログ「日本各地「大地震」木の家ネット調査フォトレポート」にも書いた。

誰でも簡単に施工できるようにと、国による「職人技術無視」と「工業化住宅促進」が、このような間違い工法のオンパレードを、奨励したことと、自然界の力を完全に無視した証明であり「建築基準法」が押し進める金物工法の無意味さが多く感じられたのである。




色々な形で三陸南地震を検証した結果、「法」が奨励した工法では今後来るであろう、大地震に「絶対」大丈夫など言うべきではなく、また100%安全、安心と言うことはないのであるから、「命」を担保に家を建てられる住まい手、そして施工者は、巾の狭い専門研究者の言葉は鵜呑みせずに、キッチリとした、本物の知識の勉強をして決めることが大事であることを痛感した。
 (ただ、「色物」で決める愚かさではなく、モノクロで建物を見てもらいたい。)

我々の先達「気仙大工」は、普請道楽の大地主が建物勉強し、ものつくりの大工と対等に話合い家つくりをした結果が、現在多く残った民家建物であり、それがものつくりの伝統であり「伝統工法」ではないでしょうか。




我々の地区では明治29年の旧暦端午の節句の夜、来襲した三陸津波では大きな犠牲者が出、特に端午節句に実家里帰りした子供連れ嫁さんたちの団欒を襲ったものだから、悲惨きわまりないものだったそうです。隣の小原木村出の母方の祖母なども、親の背中におんぶしたまま流され、親子共々辛うじて助かったそうです。気仙町長部湊地区も波方向では、直接ではなく反射波が来る地形なので川沿いの入り江が深く、海岸から800mくらいまで波が来た記録が、当時の岩手県の調査記録誌残っています。

気仙大工建築研究事業協同組合の組合員宅も、140年前(文久四年)につくられた民家に現在でも生活しており、建物は変形することなく現在も骨組みなども数mmの狂いもなく建っているのは何なのかと、「建築基準法」という法律を運用している方々に説明解析してもらいたいと思う。




2006年05月22日

46回目の「津波避難訓練」1

早朝の広田湾口見るのは久しぶり、午前5時前に家を出、災害時を想定しているので、車は使用せず歩きました。我が家から、約1kmのの距離に、海岸があり10分ほどで高台の避難場所に到着、着く同時防災無線のスピーカーから、避難訓練の放送、「強い地震」のため、津波が来るのではないかと、放送し、海岸地域の皆さんは高台に避難せよとのこと、放送後すぐに、老若男女が避難場所に集りだしました。




中学を終わり、大工養成の大船渡職業訓練所に入所してまだ2ヶ月もせずの、昭和35年5月24日早朝に来襲した、「チリ津波」から早46年、そして46回目の「津波避難訓練」が21日早朝より、陸前高田市内沿岸各地区において行われた。






まだ、小学校に入学しない子らも参加、やはり子供に強制するではなく、大人ともに避難訓練に参加する習性をつけるのも、社会としては大事なことだと痛感しました。

海辺沿いの集落は23世帯のうち、避難場所付近の高台には5軒、標高差からいっても安全であり、18軒が20m位高さから海を見下ろし所に避難をしました。




このような「天変地変」の時には、とにかく逃げるのが安全といわれ、もう親も子も構っていられず、ケセン語では「てんでんこ」(別々)の言い伝いとおりとにかく安全な場所への逃げる(避難)のが一番といわれています。




当時、職業訓練所では、道具の研ぎ方などようやく始めたばかりの時の津波で、バス・汽車などは大きな被害のため、交通機関全面不通のところを自転車をこぎ、山手を遠回りして着いたら、まだ道具にも馴染めない32名が行政の要請により、50数名の死者の「棺おけ」つくりをしなければならないことになり、それが最初に「人」が入る「入れ物」つくりでした。チリ津波の被害が一番なのは大船渡市で、死者・行方不明者53名 負傷者302名 全壊全焼家屋214戸 流失家屋218戸 半壊半焼家屋567戸、今思い出しと足の踏み場のない状態でした。
http://www.sendai-jma.go.jp/tidai/morioka/of/newpage11.html


続く





2006年05月20日

地震と自主防災「津波二題」46年前のチリ津波

昭和35年5月24日早朝、地震もなく地球の裏側から、約24時間かけて来襲した「チリ津波」から46年目に近い、明日21日日曜日早朝、気仙2市の自主防災を兼ねた避難訓練が各地区で実施されることになり、我々の気仙町双六地区84世帯、特に海岸に接した地区を重点に、早朝5時から津波避難訓練が行なわれることになりました。

毎年の来襲日には掛け声だけで、実施されてきましたが、高齢者世帯が増える中で、如何に住民の命をどのように守るかという「原点」に立って、今回、地域の自主防災の考えをどのように各々が行動したら良いかという、一人ひとりに取っては真剣考えなければならない「テーマ」となり、ここ数日地区役員としてトップなどとの打合せに奔走中。
三陸海岸の中でも一番大きな広田湾は南南東方向に、逆U字方の湾の奥には、2km弓状の砂浜が続く高田松原海水浴場と、津波が来るとそこが突き当たりなるので大きな津波ほど、その奥に存在する市の中心市街地に到達して大きな被害をもたらして来たのです。




防災システム研究所「三陸津波」から抜粋 http://www.bo-sai.co.jp/tunami.htm

「チリ地震津波」の場合、1960年5月23日午前4時10分(日本時間)日本からすると地球の裏側・南米チリ沖で地震(M9.5)が発生。その22時間30分後、約18,000Km離れた日本の三陸沿岸に津波が押し寄せ61人が死亡し、多くの家屋や船舶が流失しました。太平洋の平均水深は約4000mなので、津波は約800Km/hの速度(新幹線の約3倍のスピード)で襲ってきた計算となります。このように、海外や遠隔地の地震でも津波の警戒を怠ってはなりません。また、湾や陸地の形状、海底の地形などにより、津波の高さは急激に変化する場合があります。特に湾の奥ほど津波は高くなる傾向にあり警戒が必要です。





津波話題二題
今朝の地元紙東海新報朝刊には、中学校時代の恩師で、世界的な「貝」の研究第一人者の、故千葉蘭児先生が当時被害を克明に写した、カラー津波記録写真が市の博物館から見つかり、話題になってます。
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws1484
津波のカラー写真
http://www.tohkaishimpo.com/picture/nws1484.jpg

また、5月18日には、国土交通省港湾局の防災調査専門家らが三陸大津波やチリ地震津波の被害個所、津波到達点石標などの視察を駆け足で調査して行きましたが、宮城県の塩釜から青森県の八戸までの三陸海岸を対象に、十六日から十九日の四日間の日程で実施。国道45号線だけでも約500km近くをどの様な調査した、報告になるやら楽しみです。
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws1477





三陸地方で100年以上経た木造建築の、地震被害は施工性の良いものほどまだまだ顕在しており、戦後、住宅不足のために、国が押し進めてきた最低基準法のバラック住宅工法は平成15年5月26日「三陸南地震」被害報告http://www.doblog.com/weblog/myblog/30645/1872129#1872129のとおり、条件が悪いところでは効果のないことが実証されてきたのです。そして根本を知らずして、天の力に立ち向かう愚かさは、「法」の執行者の驕りでしかなく、ドウイチ基準を全国の国民に押し付ける無駄と、我国の木造建築歴史を知らない西洋カブレの研究者が、日本の木造建築の歴史を駄目にした功罪は大きいのではないかと思う。
明治29年(1896年)M8.5 昭和8年(1933年)M8.1 昭和53年 M7.4の地震に耐えてきた建物が多くあり、時代と融合しない生活の中では、人間の欲望による建物破壊がどんどん進み、100年以上の建物が消えてゆくのが本当に哀れである。


●津波シミュレイ―ション 
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_20/26-Takeuchi.pdf#search

巨大津波の惨状
http://www.tanken.com/tsunami.html




2006年05月18日

「節」と「旬」に異変か?

気象異変かどうかは不明だけど、今年は「シロウオ」が不漁である。2月からの低温の影響か毎夜船を出しても、極端な時は一掴み(両手はわせて一杯)ぐらい時がしょっちゅうで、漁師は嘆えております。漁はまもなく終了間近で、今年は浜の近くに居ても口には期待出来ないようです。

しかし、これからが「旬」のホヤが食べ時で、今日も殻付きのままのが、届きました。「米」との物々交換で今夜も、酒のつまみが出来酒が旨そうです。「旬」をどんな大金を出してもとても食べられず、それを食べれる田舎ぐらしの良さです。





先日も、都会の方から何か旬な浜ものがないかとの問い合わせがあり、今だったら「ホヤ」だべどと返事しました。唯一つ残念なのは、三陸海岸唯一の「ホヤ」生産名人が今年限りで生産をやめるのは返し返しも残念である。




来年はどこかに美味しい「ほや」つくり名人を探さなければならないのである。「ホヤ」は食べた後、直ぐ水を飲むと美味しいのは何とも言えず、そして匂いが独特、その匂いだけで、嫌いな方が多いのも特徴、昔から「五月ホヤ」は嫁に食わしなと言うくらい美味しいのは、海から上げた「ホヤ」は最上の絶品・・・・・・・・・・・咽が鳴ります。ごくぅぅぅ




浜からの差し入れには、「米」でのお返しが一番、子供から大人まで食べない人がイナイのだから、そして今年もようやくツツジの花が咲く季節のお田植え、山野の樹木も今年は花の咲くのが遅れており、「節」とは関係なく、機械的に苗箱生産の早苗を田んぼに移植終わりました。あとは「水加減」を見ながら、秋の刈入れまで120日から150日を掛けて来年の米を作ります。




建物つくりも、高乾燥木材(ミイラ木材)で建てることは、住む人をミイラの箱のなかに押し込んだと同じで、自然界の物をスッカンピンに、水を完全に抜いてつくる愚かさは、戦後のバラック住宅の行き着くところで、地方に生きる「水」を回さぬ無策の政治家は物知らずで国家運営を行なっている。景気が良いとマスコミが騒ぐが、地方を見て見なさい「姥捨て山」あっちこっちに出ているのは、気仙だけか。


写真

1. 殻付きほや

2. 殻から取った中味、真水では洗わない

3. 左がほや、手前はわかめのメカブ、右はほうれん草と、蒸したしらす

4. ほやのスバデ

5. ようやく八重桜






2006年05月06日

?「家と人。」12号・・・・・?

何だろうと首を傾げることでしょう。
この3月に発行された、「住まい手とつくり手」の
仲立ち的冊子で、岩手県内の出版社からの発信です。

「すこやかな暮らし発見、岩手から。」
『家と人。』です。

この冊子は中味もさることながら、ページをメクルほど
「広告」が1つもありません。
編集人の「拘り」と言うか、「一徹」というか、
この手の冊子として本当に広告がない。
広告がないと言うことは、読む人にとって、
雑念なく文字を追いかける事が出来、作者の意図が
ダイレクトとなれるのがまた良い。
書き手も肩肘を張らない方の「自然」な流れを淡々と
表現され、有名人の綺麗文言よりは、的を得た内容。
しかし読まなければ、ただの雑誌でしかないのである。



今まで2000年から発行出版された内容は次のとおりです。

創刊は2000.6月特集―「快適健康住宅」
―2号 2000.11月特集―「子育て」をデザインする。(残念ながら完売)
―3号 2001.07月特集―「安心加齢の住まい」
―4号 2002.01月特集―「保存版 家づくりの基礎知識50」
―5号 2002.10月特集―「次代に継承したい伝統民家の機能、暮らしのかたち。」
5号までの価格630.―

―6号 2003.05月特集―「空間・考」
―7号 2003.10月特集―「工務店で家を建てる」
―8号 2004.03月特集―「2世帯住宅の基本計画」
―9号 2004.08月特集―「暮らしを慈しむということ」
―10号2005.01月特集―「自然と人と暮らしの原風景」
―11号2005.08月特集―「心に棲む鬼」
―12号2006.03月特集―「再発見、『結界』の意匠」
各号の価格1050.−で発売されております。

今回発行12号ではワケガあって、取材に協力することになり、7軒の
「木の家」、健康住宅レポートに、気仙大工建築研究事業協同組合を
紹介していただきました。
2月に、木の家ネット事務局持留家族4人での取材でも立ち寄りました
関係で12号を送りましたところ。
「ヨハナさんから、読んでの感想、次のようなメールがきました。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「終の棲み家〜北上山地」
がいちばんよかった。
タイマグラばあちゃんという映画が
うちの近くでも上映され、
(ちょうど三陸に行っている頃だったので
見られなかったのですが)
評判よかったです。
写真のばあちゃんはその人のようですね。

本全体を読んでみて、
岩手では「冬でも暖かい」ということが
なによりも求められているというのが
よく分かりました。
「暖房と採暖」という記事も興味深かった。

とはいえ、
健康住宅特集に「オール電化」がずらっと、
菅野さんのつくる家と並んでしまうのもなあ〜

まとりませんが感想をかきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




12号 日本ならではの嗜み(たしなみ)の美
再発見、「結界」の意匠。の冒頭のことば

「仏教とともに日本にもたらされ、静かに定着した「結界」の思想と意匠。すべてのものに神が宿ると考えた日本人は、聖なる「内」と俗なる「外」とを分け、その思想は民俗学でいう「ハレ」と「ケ」として、生活の領域を分けることにまで昇華した。宗教の場ではしめ縄を張り、家の中では屏風や衝立を使って結界地とする。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」続きは本物で読んでください。この結界は「嗜みの自然体」のことばであると感じ、長く住まう家には変な「力み」はいらないと思うのであり、「ものつくり」に変な理屈がいらないのである。

『家と人。』の発行社http://river4.exblog.jp/

人と人との出会いのなかで新たな気づきを共有し、
ともに同時代という名の「大河 = RIVER」で結ばれていく──。
リヴァープレス社が創造する情報が、
新しい時代の人間社会の構築に貢献できるよう願ってやみません。

 http://www.echna.ne.jp/~river1/




 
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