シンタックホーム 菅野照夫
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2006年03月26日

「山の神」を見た、本当か。?

青森県旧金木町、とはいってもピンと来ないかも、
津軽半島の中ほどに位置した町、そして
「斜陽館」と聞けばわかると思います。
作家太宰治の生まれた町、生まれた家なのです。
「斜陽館」が旅館として、営業していた時に
太宰が子供時代に寝起きした部屋に宿泊でき、
一夜の宿でしたが、泊まれました。






前置きが長くなりましたが、「斜陽館」は後日
駅から東へ車で20分くらい林道を走ると小高い丘に
巨大なヒバの大木が目の前に現れる出ないの
本当に「山ノ神」です。とても近寄りがたい姿です。
樹齢800年以上、根元から上数メートルの所から
幹が分かれ、その数12本が天空高く伸びている。
新しい幹が生まれると、古い幹が枯れていくとのこと。
そして常に12本が伸びていくのだそうです。
樹名は「12本ヤス」、魚を突いて取るのに似ているので
ついた名前なそうです。





自然の営みと考えるとなんでと不思議で堪らない。
山ノ神の祭日は旧暦の12月12日が山終い,そして
1月12日の山入れまで、昔からのしきたりで山には
入れなかったのです。
だれがどのように決めたのか、とにかく12と言う
数字の魔物に大いなる不可思議を感じるのです。
台風の時なので、写真は2枚しか取れていませんが
ITのお蔭で検索を掛けると必ず何件かが掛かり
見ることが出来ます。


とにかく傍に近寄りがたく、圧巻で息を呑み言葉が出ませんでした。





斜陽館看板

全景内部は後日掲載します。

青森にお出かけの時は1見の価値があります。
タクシーか車移動でも、山といってもほどんと
平坦地を移動しますので歩ければ大丈夫です。

写真
1 右下の人と比較して

2 巨大な根元

3 案内の看板

4 今はあるかどうか旅館当時の看板

12本ヤス http://www.asahi-net.or.jp/~it8k-kjmt/kigi/hiba12ys.htm

巨樹 http://www1.ttcn.ne.jp/~naturelog/kyoju.html






posted by kanno at 06:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 節・節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

基・末(もと・うら)






木の基末(もとうら)について、立ち木の根元を「基」先端を「末」
何方にもわかることですが、建物に材木として使うときには、
基末(もとうら)は吟味して使います。

立ち木が育ち時には、朝日が末(うら)から射して来ますので
使うときも、東の方向に向けて使うと先人から教わりました。
意味は「生長」する方向に向けて使うことが、末代まで繁栄を願っての
ことで、太陽に向かうことは「天」の方向なのです。

写真
左が西、基







車で1時間半ほどの、内陸の老名棟梁宅の改造工事の時
土庇桁の使いかたで、不吉な使い方だと意見されました。

老名棟梁曰く、この地方では基を東の方に向けて使うのだとの考えでした。
そこでどのような意味があるのですか聞いたら、昔からの口伝なそうです。

それが「不吉」の意味だと、そこで日本各地では使い方が色々ありでは
ないかと思う。
現在の木の使い方は正角材にして使うために「きつかい」に
無頓着になって来たのですが、各地域のきつかいはどんなもんでしょう。

このブログを読んで地域の「木」の使いかたに拘る方がおりましたら
「コメント」をお願いします。

写真
加工中、右が基




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・










プレカット工場などで加工される材料などはそのような考えはなく、
柱などは天地を逆にしても一向に気にしないのは、そのような自然学を教育しない
経営者側の利益本位と、高校上がりの従業員が機械任せにしたことがこのような
加工しているのではないかと思う。
古民家調査すると、逆柱が立っている家がありました、数十年以上前もちろん
第二次大戦以前に建築、当時新築するくらいの家ですから当時の状況を聞くと
高利貸しをしていたらしく、大工職人がかなり虐められたらしいと聞きました。
恐らく素人にわからないように、当時の大工さんたちが建てたのだと思う。
今は財産をなくして、スカンピンなようです。
なるべく「き・き・き」を生かし繁栄するような家を建てたいと願う。


弘法大師のように杖を刺したらそのまま生えたとは不思議で???







posted by kanno at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

160年以上前に植えられた「ヒバ」

家の前に生えていた「ヒバ」の巨木(青森ヒバ系)
南側に日当たりを遮る枝が生い茂り、
冬場に庭の雪が解けにくいので、数年前から
伐採を依頼されていましたが
ようやく伐採できることになり、
小春日和の午前中に切り終わる。





気仙の平地には余り生えてない木なので、
160年以上前の先祖が生活井戸の近く、
小川の沢沿いに植えたものです。
気仙で一番高い五葉山(標高1351)には
大きな巨木が多く生えていたとのこと。
また、五葉山は三陸海岸で一番大きな川、
気仙川の源でもあり、歴史的に「気仙大工」とは
切って切れない関係があったのです。




その関係で全国から多くの木材商が泊りがけで
買いに来、今泉が栄えたのですが、今は往時の
面影が消え、伊達藩時代に気仙、本吉郡を
統括した町は、寂れるばかりの今日この頃。
気仙川川口近くの老舗の旅館が時代の波に
勝てず、取り壊しの運命になり、現在解体中です。 
(後日掲載)

写真
2本の左上のところに3箇所の傷がある






眼とおりの直径で、2尺以上の大木でした。
伐採したところ、3本のうちの真中の木に
丁度背丈ぐらいのところに、周囲3箇所に
傷があり切る前から気になっていましたが、
切ってから切り株の年輪を数えたら、60年
前ごろのところの年輪に灰色のところがあり、
考えると第二次大戦の終わりごろ近くの小学校、
港にある造船所などが米軍戦闘機の機銃射撃の
攻撃が激しく、射撃後には薬玉が多く畑など
落ち、子供の頃に拾ったものです。

製材したらもっとわかるかも????

写真
伐採ご切り株の芯のところには蟻に食われ
始めておりやはり切られる運命だったのであろう。
あと数年おくと蟻食い被害が増大して
強風の時などには倒れる危険が大である。

やはり子供の時から眺めた木がなくなるのは寂しい。




2006年03月13日

アクセス 30,000記念

いつのまにやら、アクセス数が今日で30,000になりそう?

そこで、前後を含め3名の方に
冊子を提供します。

中味は下記のHPが発行した
「百年住宅を目指して」鎌田紀彦書
H17.10.25 P48 定価500-
http://www.shinjukyo.gr.jp/




冊子の中味は写真のとおり







申し訳ございませんが
「木の家ネット」会員は
ご遠慮をお願いします。

別に頒布しますのでよろしくご連絡を

次のアクセス

29999

30000

30001

の方は下記のメールに連絡をください。
info@kesendaiku.com

住所氏名TEL等を・・・
メール便で送ります。
負担は当方でします。

ゲットされた方は、訪問者リストにも「ブログ」アクセスを

では?・・・・・・・・・


次回は・・・33333を予定します。





posted by kanno at 11:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

続・1 村上大工の仕事・・・・・新潟

村上大工の続き

新潟県北部の町、村上市
人口 31,755人
世帯数 10,767世帯

全国にはこのような町形態が多く存在しておりますが

村上市のキャツフレーズは
「恵まれた自然と歴史が生み出した伝統・文化を誇る観光文化都市」

建物だけではなく、「歴史文化」をきっちり捉えた町という印象が強い
ときの殿様が、戦火の中城を焼いても、市中の民家町や残せと
いわれたのが庶民に行き渡っているのが、話を聞くと伝わってきます。

写真
国重要文化財 若林家住宅





町のいたるところに古い建物があり

他所から見学に行っても、色々な案内があり
また大事に保存もなされています。





クランク通りに2面が面しての大正ロマンが漂う町って
ほっとします。

町名もものつくりの町らしく、大工町、鍛治町など
色々町名が大事にされており、

町並保存団体が多く、市民の意気込みが伝わってきます。




クランクを曲がると正面が出てきました。

見学のときは聞かなかったのですが、保存される?
のではなかったのでは記憶。中は見ることは出来ませんでした。




「吉源」の玄関外にあった??

下駄箱木目がきれいで撮りりました。

上の天井板などもこだわり細工がしてありました。

ではまた・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

町屋再生プロジェクト
http://www.mmsp.info/

ぶらっとむらかみ
http://www.tabi-murakami.com/

村上古民家倶楽部
http://www.murakami21.com/kominka/

村上市概要
http://www.city.murakami.niigata.jp/somu/gaiyou/




posted by kanno at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

続 ・ 村上大工の仕事・・・・・新潟

昨日に続きます。

村上大工は社寺,民家,町屋と幅広い
造形美の凄さに感服します。

市中にある善隆寺の紅梁の彫刻
軒先垂木の華麗なる美

雪国のため大きく軒を出せないのを
べつな形に見せた心が良いねぇ。




脇からの写真
雪国でなければ
モット軒を出せたのになぁと思う。

昨日の浄念寺は国の重要文化財でした。




大事なことを忘れてました。

皇太子妃雅子さんの祖母が村上の藩士の出です。





古民家の見学の
壁に掲示されてました。





前の「吉源」の建具

竹を結んだ、アップ写真です。

地場にある材料を旨く使いこなして点は
素晴らしい

日本海側の竹の北限地でもある。

物流の港が栄たのも、千石船と交易が
色々な文化を育んだものであり

城下町としては奥深いものを持っている町である。

村上市観光協会HP

まだまだありで、後日




posted by kanno at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

村上大工の仕事・・・・・新潟

2006/01/23のBlogの続き
:http://www.doblog.com/weblog/myblog/33509/2247493#2247493

村上大工の仕事
土蔵のお寺「浄念寺」
村上市の街中に建ってあり
中に入ると確かにお寺です。

正面から見るとお寺風かな?・・・
写真のとおり梁間も大きく
土蔵梁間として全国的にも珍しいのではなかろうか。




裏側からも見ました。

塀の中には確かに
墓石の頭が見えますが、

遠くからも大きな屋根が見え
近寄るほど大きさが実感できました。

内部の写真は後日




村上市見学会の時
町の色々な場所に現在地の案内

「町屋の屏風まつり」と城下町見学の気配り良い。




料亭の玄関 「吉源」

建具に竹を旨く生かしての仕事
欄間にも竹を利用した壁バランス

竹をコマク編んだ建具と「竹」を結んだ
お客とお店が固い絆を表現したのが
素晴らしい。





建具全体

まだまだ中に素晴らしいのがあり
後日にします。




posted by kanno at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 木造建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

続 大工一代・・・・・・唄

1月30日のブログ掲載
大工一代・・・・・・・平田雅哉

歌の文句だけでしたが、曲はとTELでいわれ、おしえてだって○○さん

ダウンロード先はとてもTELでアドレスを伝えることは無理なので「次」を
http://www.nextmusic.net/index.php?command=profmusic&profid=20031227235603

「試聴」をクリックし
内容を確認してからダウンロードしてください。
ちゃんと歌声と伴奏が聴けます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




秋田地方の大工ばなし
(秋田・北羽新報に掲載されたのを転写)
2004.10.26

・・・・・・・・・・・・・・大工に「かまし」を聞く ・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 先日、知り合いの大工の親方に、知人の娘が
「かましだいく、ってどういう意味?」と聞いていた。

 腕の悪い大工のことを、わが地方では「かまし」
あるいは「かましでぐ」と言う。その方言の意味を、
大工の親方に直接質問するという意地悪を、
誰かが若い娘にけしかけて笑いを引き出すほど、
20代、30代の世代は方言を知らないということだ、
と感じた。

 それで、「腕の悪い大工」を、なぜ「かまし」
というのかに話題が移った。自分は、腕が未熟だったり
いい加減な仕事をすることで建築の共同作業の場を
かき回すこと、ひいては建築主とトラブルを起こすことから
くる「かます」が転じた言葉ではないか、と言ったのだが、
さすが親方、棟梁である。理路整然と「かましでぐ」の
意味を説明してくれた。

 腕のしっかりした大工というのは、自分で大工箱を作り、
大事に道具を入れて持ち歩くものである。しかし、
いい加減な大工は、道具箱を作ることもせず、
叺(かます)袋に道具をしまう―と。叺とは、
寸胴型の布製の袋のことという。「かます」が
訛って「かまし」になったわけである。

 それで、大工の腕にまつわる方言を探すと、
県教委刊の「秋田のことば」では、「かまし」の
ほかに「がっきでぐ」と「みんじゃだえく」があった。
紹介する。

 がっきでぐ―「がっき」は階段状のでこぼこを言う。
そこで、なめらかな仕上げができない、粗雑な腕の
大工を「がっきでく」と卑しめたのである。
 みんじゃだえく―「みずやだいく」すなわち
水屋(台所)の修繕ぐらいしか任せることが
できない腕の悪い大工の意。

 「がっき」も「みんじゃ」も最近聞くことのない
方言になってしまった。その言葉に出会って、
懐かしさを覚えるとともに、大工をはじめとした
技能職人とこの地方の人々は、なかなかうまい
言い回しをしていたのだ、と改めて感心した。

 それで、集まった仲間は反省した。
それぞれの職業において「かまし」にはなるまい、
若い人「かまし」から早く抜け出るようにしたい、
彼らにも職業人としての自覚を促したい、と。(八)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気仙の「叺」(かます)は

むしろ2枚におって端をなわで編んだものを「叺」と言います
昔とはいっても、昭和30年代までは使われていました。
塩とか石炭など運ぶ時には便利だったのです。

建前の上棟式に撒くゴシ餅いれて両親の
ある方が背負い屋根に上がる時に使います。

なぜか、言うと前に書いたように全ておんなの陰徳に
纏わることで、叺のなかに入る餅は「おとこの物」
それを入れてくれるおんな???、叺で表現している。

両親が揃うのは末代まで繁栄を意味をこめて
いるので、撒き終えたら中に幾らか残し
拾えない方に分けるというので全部撒いて
「叺」は投げじに大事に抱えておろしのが
本当です。全てがおんなに感謝すると意味合い。


全国各地には色々な大工にまつわる話っこは
あるんだべねぇー見っけだらまたも掲載します。




posted by kanno at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

後から聞こえた、「JOC」の裏

冬季五輪トリノ大会もおわり、辛くもメダルは1個だけ、淋しい・・・・
「JOC」の顛末を聞くと、日本国はやはり可笑しな国に見えるよなぁ

派遣選手より、選手を支える裏方(役員等)の方が多いんだって、
色々な役まわりがあっての派遣だからそれも判ります。

しかし日本から、トリノまで行く飛行機に乗るのに、
選手は「エコノミー」・・・・役員は1ランク上の券
もっと上の役員は「ファースト」クラスなんだと

そして主役はあの狭い座席で、長時間の移動だったんだと
これでは幾ら実力があっても、日本との時差など
考えても、身体にキクハは
まあ、鍛えてる身体だからエコノミー症候群にはならないから
いいんだろうけど、競技の主役の扱いがこのテイタラクだもの

成績が悪いのもわかるはなあー。・・・・・情けねぇよ

なんも、上げ膳据え膳の扱いを行いとは言いませんが、
組織あっての競技者でもあるまい、競技者あってこその派遣だろうが、
それに胡坐をかく組織ってやはりどこか狂ってるんじゃない。

銭がなくて皆「エコノミー」なら納得するけど、
頑張る人間はどんな扱いして良く、なんか知らん役が
特等席っつのも、やはり組織役員という特権からの驕りか・・・・・・
裏方になるなら、もうちょっと気配りがあると、成績が上がったかもね。

経済大国が派遣するんだったら、永田町のおんちゃんだずも
どっかのポケットにはっ入てるどっこから餞別してもうと思うが

派遣役員を数十人減らすと、入賞者に報奨金を出せたんだと。
情けねぇなぁ・・・・・・・

今の日本は頑張る奴ほどアホで、頑張らない奴は3食昼寝つき
遠からず、「釜土けぁす」になるなあ。(引っくる変えると言う事)

(釜けぁすは、釜土が残るからいいんだど―ケセン語―)






posted by kanno at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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