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2006年01月31日

中心市街地の再活性化策・・・・・みちのくの町や村々

岩波さんの、「中心市街地の再活性化策のみちのく版 
田舎再生の追加工事、本物の仕事になる様???・・・・・・・・・・・・

米国の西部劇に出てくるよな、日本各地の町や村を駄目にしたのは、
○イエーをはじめ、大手が進出しやすくして、「安物奨励構造」に
作り、そして国民をおだてあげ、町を衰退させたのは、○ヶ関の机で
考え、昼休みの将棋差しみたいな、○ヶ関×国民では、国民の頭の上を
飛ぶ烏が見ているので、最初から勝負は決まったようなもんですよ。
心の黒い輩のよだれた「思考の施行」が原因じゃないの、今から考え直し、
そしてやり直し、そんなのは無理だよ。・・・・・・・・・・魔薬で殺しておいて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(死んだ奴は起こしことが出来んの?)

第一、骨抜きにしてでは立ちやしないし、自分のやつだって年を取ったら
○イアグ○で、一時だけ立ったんでは、回復までに時間が掛かり、持たないよ。
生活基盤までぶっ壊されて、また、町や村の再生、真綿で人のクビを締め、
息の根を止めておいて、今更そんなに生易しいもんじゃないよ。
そんなの大奥の女中だって判ると思うよ。・・・・ワカラナイノハ誰。もう一度
大学にもどって、鉛筆なめながら、時間を過ごしても好いんじゃない。・・・
・・・・・・・・・・・・・(そのうち、あの世だ)

大手の商売で、田舎の店は皆なシャター通りにしておいて、
オマケニ安売り拡大、色んな物に手を出して経営が行き詰まり、
・・・・・・・・国税で穴埋め。・・・・・・何なんだよ好き勝手ことして。?

誰が儲かったのか判る。安物売りで、一時だけ好い思いをさせ、
衰退した町や村で残っているのは、極楽往生を願い、天国が
待っている何処にも行きたくない年寄り、生産性が上がらない
構造にして、今更なにを考えているんだろう。判らない???
永遠に「不明」じゃない。・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・不滅は 長嶋茂雄の名セリフ。だから人気が衰えない。

我々の木造の建築だって同じよ、戦後の「洋式住宅バラック革命」
みたいな、建物手抜き工法を奨励して、段々「法」を厳しくして、
昔からの工法の首を捻り、プレカットや、利口な専門家が考えた、
いい加減な建物は「適法」だと。
法隆寺が何で千何百年も持ってきたのかわかる。「き」というものに
心(しん)があったから倒れないで来たんじゃない。

プレカット工法などは、後10年以内に亡くなるかも知れないのに、
大手のハウスメーカーにもっと安くと、脅迫された偽装構造屋と
同じで加工賃を叩かれ、3年前は最先端の機械が、今の一番新しい
機械などはそれの倍以上も加工する。

機械メーカーだけが儲かる構造。

工場の経費も稼ぎ出せなく、都市から遠いほどもう疲れ、ギブアップ
寸前なのを、知ってて税金という「カンフル注射」をする。
誰のために安く稼動しているのか、きれいごとの「地域発展」などは
大型機械では解決はできないよ。

こっちも偽装してやと叫びたいが、止めよっと、頭が良く、浅はかな、
法利右衛門のように「手が後ろに回るし眼が回る」ヤバイ・・・落ちる。

その機械購入に力を入れて、背中から手を出してるやつは誰〜だ、
それは異体の知れない、足のない幽霊の超大物よ。(ウラメシヤアー)
当たり前の「民」は当たり前の五体しかないのだ。

どこか1ヶ所が安くすると、すぐに右習いで単価を下げられたら底なし
沼に落ちて、段々借金の重しを乗っけられたら、浮かぶどころか沈むよ。
その一方で、死んだら誰が借金を返すの、国じゃないよ、そこに
残った者たちにツケとして、重荷を背負わされ、益々衰退よ。・・・
・・・・・・・・・・(ショボ、ショボ。)

どこかの県の地域活性化をHPで見て、お金がないから何にも
出来ないのだと、選挙の時の大風呂敷が何処に行ったやら、(アぁーあ)。

吉 幾三の「銀座でべっこ飼う」歌の文句がぴったりじゃない。
町や村から人を追い出し、中心街だけ繁盛させる、安物で人を
引きつけ、定住先が安定しないのに根つくワケガないよ、昔からの
物を全部破壊して、構造改革、その前に江戸城を破壊しないと、
永遠に、猿芝居の「政と」ばかりに付き合い、外国に笑われるのが
落ちじゃないの。(^.^)・・・・・・\(^o^)/ハハハー

贋物に引かれるようじゃ、本物の住みかなんてわかるわけない。
贋物をつかんで恥ずかしくもなく、安く売った奴を責めたって、
懐から出たものは、戻ってこんよ、昔から言うじゃない。

「投げた石と、シャベッタことは、元には戻らないと、(もう一つ、)
別れたカアチャンと、銭っこも還ってこない」それが「法利右衛門流の
偽計銭稼ぎと、銭(かね)っこの少ないコンクリートの住みか」を求め、
苦労する人たちに、火事場の野次馬泥棒(○ス○ミ)だけが
焼け太りのように儲かる、世の中って、やっぱり可笑しいんじゃない。
・・・・・・・・(狂っている、どこかが)・・・20万人以上の町しか残らない。

だから合併、合併と騒ぐ、騒いだってだめ、働かないやつに高い
手間を払うシステムを変えないと、よく言ったもんだ、「馬車馬」の
よう一生懸命働くものは良くならない、所詮「馬は馬」か。
戦後、田畑・山を食い潰し、銭をもったら、人を食い潰して、国の運営って
都合のの良い「法」をつくる奴と、その「法」の大木の陰で旨い者を
食うものしか残らなく、その内に「共食いの時代」がまもなく来るよ。

そのような時代と世界になっちゃた今、福島県の矢祭町の
「町長」と役場職員の奮闘、「合併」しない宣言の「土性っ骨」は
見習わないと日本は良くなんねよ、地方議員の視察が多く、野次馬で
地元に帰って、話はするけど「人まねのうまい日本人」は何処かえ
行ったそうです。その内に自分らが真綿の紐で首ツルのが、おちだね。
さあ、暗くならないうちに帰ろうと、「何処へ我が家へ」。寝よっと・・・・・・・

(南無阿弥陀仏・・・南無妙法蓮経・・・南無大師遍照金剛・・・と手を合わす)



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2006年01月30日

大工一代・・・・・・・平田雅哉

弟子上りの時代に影響を受けた。映画と本の中に、
本物の大工職人をかいた森繁久弥の映画「大工太平記」
当時田舎の遊びに、映画館通いも夜遊びの1つであった。
3館あり欠かさずに見たもんで、建物の視覚の勉強にもなった。

大工一代の本は、映画2回見れるくらい料金だったと思う。
今思うと仕事への影響は大だったのかなぁ。
2001年に新刊本が発行になり、再度読み直し当時を思う。

わが町の「公友舘」は岩手県の中でも最後まで、
上映をしてましたが、時代の波に勝てずに閉館になり、
町が益々寂れてしもうた。

そう言えば、歌もあったね。

・・・・♪大工一代 ・・・・・・・
作詞 みつい禮 作編曲 のんた
唄 中川芳郎

削る切る打つ 大工の技は
研(と)ぎが三年 鉋(かんな)の修行
いまは相棒(あいぼう) 血が通う
登りつめるにゃ 辛抱我慢
大工一代
焦りゃ逃げるよ あぁ極め技

技は盗まにゃ 匠(おやじ)は越せぬ
ちような鋸(のこ)ノミ よろしく頼む
磨く根性 真っ直ぐに
理屈講釈 言うより先と
大工一代
建てた柱が あぁ俺を見る

いたむ古傷 大工の証(あかし)
怪我は覚悟の 受け継ぐ道だ 
腕をみこんで 頼むぞの 
ことばうれしい 職人冥利 
大工一代
相棒(やつ)に感謝の あぁひとり立ち


平田雅哉の考えは今の時代にはとても合わなくなり、
ものつくりの「魂」より、銭銭の時代、あわれな世の中、
大工の伝統は何処に行ったやら、あほう「プレカット」時代じゃ

なんもかんも、手抜き、ごまかし、にせもの、そして人だまし
銭を持てば持つほど、暗くなる世の中、ろうそくの明りで
未来語る、食事の時の方が先があかるかったような記憶

東京に行っていつも思う、夜中に一瞬に停電したら、
この方たちはどうするんだろうと考える。

野暮かな・・・・・・・・停電しないことを「祈る」しかない。(無力)

ものつくりの極意の一言

冒頭に「大工は馬鹿でも利巧でも出来ぬ」・・・・・ものつくりの真髄

 「ええか、よう聞けや。おまえの傷は舐めればなおるかもしれんがな、
この柱の疵は永遠に直らんのや。わかったか!」。と書いてある。





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2006年01月28日

法隆寺と大工小川三夫棟梁の考え。

昨年12月に、S新聞に『話の肖像画』とシリーズで、大工棟梁小川三夫さんから聞くという特集があり、新聞を切り抜き保存しておりますが、そのときにHPなどで検索したら、糸井重里さんとの特集が日刊イトイ新聞なるのを見つけてました。
内容が読みやすい内容なので、大工さんらに大いに読んでいただきたいと考え、紹介します。

日刊イトイ新聞 
http://www.1101.com/home.html

法隆寺に行こう
http://www.1101.com/life/index.html

小川三夫×糸井重里 対談編 全9回
http://www.1101.com/life/2005-07-05.html



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2006年01月27日

将棋を考えたのは誰でしょう?

「将棋」と云うのは誰が考え出したのでしょうと、常々疑問に思っていました。
その話を親戚で、役所に勤めた人が、また将棋が好きで、段を持っているというので話していたら、PCで検索したら出てくるといわれたので、検索したら出てくるは、・・・・・・・・
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』なるものが 将棋の沿革 この項を読んで納得 

 中学の時には、夢中で将棋指しを行い、先生に大目玉を位、失敗の連続でした。なぜか夢中になったか思い出せないですが、小学6年の担任の先生(引退)に教えてもらったのが縁で勉強もしないで、相手を見つけ次第、指していたのを記憶しています。

それが、今なんでと思いでしょうが、駒の名称の意味に、奥の深さを感じたからです。 現在社会の世相に駒の動きに照らし合わせると、人間の愚かさに行き当たります。

歩兵」(ふひょう)成駒=と金 動き(一桝ごとに前進しか出来ない)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤で「と金」となるいわゆる「成金」となり、「金将」と同じ動きとなり、敵陣で大暴れが出来ますが、邪魔な「と金」を片付るべく、敵がその駒を取ると、また元の「歩兵」に還り只の一兵になってしまい、敵に取ってもまあ良い駒を手に入れたことにはならない。 現在の世相にあわせると、なぜか急に金持ちになった庶民のことを指す言葉、銭を握ると態度がデカクなると、あの「成金」が云うじゃないですか、元を正せば、その言葉は将棋から来てるんだなあ―と・・・・・

香車」(きょうしゃ)成駒=成香 動き(前方に何マスでも動ける。飛び越えては行けない。)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤で「成香」となるいわゆる「成香」となり、「金将」と同じ動きとなり、敵陣で大暴れが出来ますが、邪魔な「成香」を片付るべく、敵がその駒を取ると、また元の「香車」に還り元の一兵になってしまい、敵に取ってもまあ良い駒を手に入れたことにはならない。 現在の世相にあわせると、日本国の獅子の大旦那と同じじゃない。幅狭くしか動けなく外に行くと萎縮して、マスコミには弱そうに見せ、背中の党にはネコが、トラじゃない 獅子が牙だし大きな声を上げるに似てる。 

桂馬」(けいま)成駒=成桂 動き(前へ2、横へ1の位置に移動できる。その際、駒を飛び越えることができる。)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤でとなるいわゆる「成桂」となり、「金将」と同じ動きとなり、敵陣で大暴れが出来ますが、邪魔な「成桂」を片付るべく、敵がその駒を取ると、また元の「桂馬」に還り元の一兵になってしまい、敵に取ってもまあ良い駒を手に入れたことにはならない。 現在の世相にあわせると、飛ぶ時に軸のジレタ「法利右衛門」さんは、やはり馬が好きでうまく行かなかった。「丑」だったら、うまく行くかな「へいまつ」さん、でも深みに嵌った、壕さんの倍近い年と、社会経験が3倍以上も違う差かな。

銀将」(ぎんしょう)成駒=成銀 動き(前と斜めに1マス動ける。)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤でとなるいわゆる「成銀」となり、「金将」と同じ動きとなり、敵陣で大暴れが出来ますが、邪魔な「成銀」を片付るべく、敵がその駒を取ると、また元の「銀将」に還り。 現在の世相にあわせると、「両脇と下」に弱みを抱えた、今、金将になれない太った幹○長じゃない。

金将」(きんしょう)成駒=・・・・・・・・まっさらで、赤がない。????? 動き(縦横と斜め前に1マス動ける。)この駒と「王将」には裏がない、 現在の世相にあわせると、やはり「本物」には裏がない、でも本物・・・・・・・・・・

角行」(かくぎょう)成駒=龍馬 動き(斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤でとなるいわゆる「成龍」となり、「角行」+「王将」と同じ動きとなり、 現在の世相にあわせると、「自在に動く忠実な番頭」

飛車」(ひしゃ)成駒=龍王 動き(縦横に何マスでも動ける。飛び越えては行けない。)が、敵陣に入ると駒を返して、駒裏が赤でとなるいわゆる「成龍」となり、「飛車」+「王将」と同じ動きとなり、 現在の世相にあわせると、「角行」ともに王に忠実な「番頭」である。今は番頭と呼ばれる人が見えなくなってきました。手の平を返しのが多く、信と真が無くなった。

玉将・王将」(ぎょくしょう)・(おうしょう)成駒=・・・・・・・・・ 動き(全方向に1マス動ける。)この駒と「金将」には裏がない、やはり「本物」には裏がなく、詰められると負けですから、ここが王将のように1歩1歩慎重でなり、行動すると大きな間違いがない。 教訓、周囲が良いと余り動かなくても安泰なのが1国1城の「主」である。

9×9の升目、20対20、27の3倍、365をかけると、人の一生と世の動きの、1日1日の生き様の模様が見える。・・・・・・・




posted by kanno at 06:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 未来が見えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

「昨日(25日)の延長線」

○○さん早速のコメンとありがとうさんです。

コメント
[2006/01/25 09:07]
役人様は、段階の世代の塊の処分場として、現場も知らない◇だけ持った余剰人員を民間の名の下に、大手住宅メーカー、銭コン、資本の検査確認機関を作って、送り込んだ。
本当に優秀な人員だけは、そのまま役所組織の中で役職に。天下り先の確保は充分できたかに見えた。民間になれば、利害を追求するのがあたりまえ。
建築士にもっと充分な責任を持たせるべきである。
しかし、その責任の分だけ、弁護士や医師のように報酬を得れるようにならないと。
それなりの報酬を得るためには、建築士の努力と勉強が必要ですね。

「昨日(25日)の延長線」と、滋賀の設計の大将様に

建物をつくるのには、色々な専門職方で構成されているのはこの世界の当たり前のことですが。
そのことを判らないのか、それとも短絡的な考えなのか、失礼な言い方ですが専門ばかといいますか、多勢で演奏する指揮者のいない「オーケストラ」演奏者に、勝ってに楽譜を渡して演奏するとどんな音がでてくるのか、聞いてみたいです。「摩訶不思議」な音がでると思う。(マジで)

現在の、国の資格の考え方に大きな問題点があるのです。
「建築」には材料で分けると「木・コンクリート・鉄・など」また、作り方が不明な人目にツカナイ工場で造る奇怪な箱などと多様なのが、日本の建築です。

判りやすく言いますと、医者になるのには、身体の基本全部から学び、それから自分の希望する専門学を学ぶと聞いています。そうしてから病院などで診療に当たるのだそうです。命を預かるものとして基本中の基本だから、患者に感謝されるのではないですか。(全部といいません。藪もいますから)

建築士の試験の問題を見ると、ピントが何処のあるのかも判らずに資格のための講習、試験のための勉強、その狭い範囲のみで資格がいられるのに大きな問題があり、建築の「基本」と「専門」を分けずに資格を与えているのが最大の元凶。記憶力の優秀な方は、朝飯前の仕事だと(笑)(^_^.)

木の家つくりする方などの問題などは、数問でお茶を濁し、合格点数が60点以上だと合格、車の免許試験だって90点以上なのに、後の40点はどうでも良いではマトモナ建築士といいますか。それでも、H17年合格者11.1% だど、車の免許試験並みに想像したら「恐ろしい」×××… H17年合格者
たすき筋交が幾ら合っても「とうかい」してしまうんじゃない。

真面目な、建築主事にいたっては現在の家つくり方に合わない「法」でも法だから、その通りに指導しなければならないジレンマと、直接現場を見れば見るほど脅迫観念に陥り、頭ばかり掻いているものだから、毛がなくなると悲鳴を上げてる。

だから「地震」が怖いから、お経みたいに、たいしん(耐震)たいしん(大震)たいしん(大身)たいしん(大進)たいしん(大信)と手抜き工法を奨励しておいて、そして税金を使って、大振しんだど、国家が行なうと何でも正真(ただしん)だから好いもんね、真面目に建てるのは違反だど。( )^o^( )

全国を走り回り「大工育成塾」の先頭をはしる、T中棟梁いわく「大工」の仕事は100点満点が当たり前、60%の資格者と一緒じゃいくら頑張っても、好い建物ができるとは限らないのだと。その内に大工になるより、60%の人が多くなったら、木の家をつくるのに墓の中に依頼しないと、出来ない時代がまもなく来るんじゃない。

俺は本当にごめんだぜ。死んでも死に切れないって、このことを言うんじゃない。
この次は、幽霊になった時・・・・・・・・・


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2006年01月25日

「マスコミ」の恐怖・・・・・ガクガク震いている――返事。

■ 「マスコミ」の恐怖・・・・・ガクガク震いている。(1)

[大江忍] [2006/01/14 09:23] [ MyDoblog ]
まったく菅野さんのいうとおり
コンクリートが専門の建築士が、木材の種類も見てわからないのに設計してる。
雑誌にのると、とたんに偉くなったような錯覚に陥るわけで
天狗が多いのに困る



・・・・・・<m(__)m>・・返事が、遅れました。申し訳ない。
建築士試験に合格した、ペーパードライバーだと考えると “楽”
ペーパーをいただき、すぐ看板が掛けられるから、
偽装設計者が生まれるんじゃない。・・・・・・・・・・・・・

免許取立てペーパードライバーが直ぐに、高速道路を走るの
危険だと思うのは誰が見ても、やばいと思うよ。

やはり看板が掛けるのにも、免許後、若葉マークが10年くらい
社会勉強(経験)しても遅くないんじゃない。(マジデ)
それも修行先のお墨付きがあっての看板なら、
お墨付きをくれた方も信用される社会になるだろうし。(\(^o^)/)

大工だって、弟子修行を終えて直ぐ看板かけるなんて
広い世の中が信用しないし、そんな無茶なことは考えないと思う。
紙に縦横線を引いただけで、世の中って甘くないんじゃない。

大体「人と物と金」のバランスが取れたら、ホ利右エ門以上の方だと、
そうなると、日本の港の「トウダイ」も明るくなるし、 ((^_-)-☆)
明るいと事故が少ないし、夜道「レイプ」されることもなく、
自分から誘い場別だけど、そこが、今の世(夜)の中の怪しいところで、
きれいな、ねえちゃんには気をつけてね、後は依頼者と請ける方の信頼で「H」を((^.^)・・・・・\(^o^)/)

「愛」・見積りなどで、建てるなんて仕上がっても比較できない代物と
アトデ、銭でもめるのも、(♂・♀も同じ)善く(本当は欲)と、なかで天秤を担ぐ
口先3寸のペーパードライバーを信用した、依頼者の自己責任じゃない。

後はヒトのことにするのって、今の国トップの動きが、自分らが都合よく
国民に押し付けるのが、魔さに魔さに正しいインじゃない。
それでないと、これから育ち子らに、親の責任が果たせない、情けない。
あーあー、情けない。・・・・・・・・・・・・情けない返事

(2級でもなく、まして1級でもなく、この際、偽装のない「特級」の免許を作った方が
良いと思うから、皆で国に提灯をもって「陳情」しよう。国民が明るくなるようにと。)
夢のはなしで、現実は、崖プッチかも・・・・・・・・・・・・・こんな返事で(<m(__)m>)

どなたでも簡単な「コメント」を・・・・・・・・・こないだろうな??????



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2006年01月24日

「木の家」の良さ」・・・・・・・はてな?

木の家の良さとは? はてと考え。

つくり手としての良さは、特別な材料は必要ないということ、
近くの山に生えている。
自然の「木」を切ってきて加工が簡単に出来る。

写真 秋田県二ツ井町、日本一高さが高い 
 きみまち秋田杉




只それには、頭で絵がいたとおり作るのには、
そこまで行く修練があってこそ実現できるのですが、
立体的いわゆる3次元に、ものをつくる「脳」からの発信が
「眼」と「手」に伝え、「木」がそのとおりに生かされたときに、
感じるのが、「木の家」の良さ。




壁式の2×4、柱や構造体が隠れる大壁工法、型枠コンクリート工法など、幾多の工法のつくりがありますが、(工場で同じにつくる木の家は門外)
真壁工法の、「柱」「桁・梁」の木組が見えるのは、
木を組む「木の籠」に住む人を包む安心感は、「木の家」の良さ。




スギ・松・ひのきの床板、畳等の床に仰向けに寝、
天井を見上げ、板の色々な木目模様、壁を横切る。
長押など、立っての生活目線と、横になった安息の目線が
知らず、知らず内に、住む人の身体にすみこみ
心身に大きな影響を与えるのも、「木の家」の良さと感じる。

過度な「木」の使い方は、「気」をつかい過ぎるのと同じで
日々、当たり前に生き、当たり前の仕事を目ざして、
さりげなく、また、なにげなく、自然であるべきで、
それを、表現することが難しいのも、「木の家」つくりの良さ。




自然体の生活を生み出し、「木の家」の「器」が完成するのに
10年も、20年も掛かるのが当たり前なのに、
そのころになると次世代に変わり、巣たっていって、
別の住みかが、また「木の家」をつくれたら、好いなあと思う。

そして還ってきたのが、大きな間取りと天井の高い「木の家」。




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2006年01月23日

「木造」地方古建築の佇む・「豪農の舘」・・・・・・新潟県北部

新潟県北部、山形県と接するところに、朝日連峰に源を発す、昔から「鮭」で有名な、荒川の本流河口から17km遡ったところに、岩船郡関川村、人口約7000人が住む、街中を東西に並行する国道113号線(米沢街道)、JR米坂線「越後下関駅」下車、役場に向かう東、500mの道路沿いに、大きな曲線をえがく見事な萱葺屋根の、豪農民家が並ぶのを見て驚きました。

写真 佐藤家の屋敷がT図型のため、南面に直角なためかぶり納が見事である。





写真 津野家の萱葺屋根の曲線の見事さは図面では無理、萱葺職人のバランス感覚の見事さ。

駅をおり最初が、今から241年前の明和2年(1765年)の建築。H3年国の重要文化財指定の「佐藤邸」、その隣の近くに「津野邸」。
そしてすぐのところに、3,000坪の敷地に500坪の大邸宅の石場屋根葺きの国の重要文化財指定、「渡辺邸などは、丁度南には、関川村役場が建っており建物の長さが役場より大きく見え、恐らく役場よりでかいと思う。






写真 石場葺き屋根の 渡辺家

NHKBSTV、松 たか子主演「蔵」のドラマロケに、渡辺家の本物の蔵群「米蔵・味噌蔵・金蔵・宝蔵・新土蔵・裏土蔵」がバックになり反響を呼んだことはご存知かと思います。土蔵群の手入れが良くて自由に見学が出来。

また隣接に渡辺家の分家「東桂苑」と中の造作、剥き出しの大きな梁など、ゆっくり見るだけでも、半日は掛かるほど見るところが多くあります。1昨年暮れの中越地震調査の帰りに、北方文化博物館など4ヶ所の豪農の舘の見学ができました。




写真 津野家

只、惜しいかに、渡辺邸以外は「非公開」なのですが,秋の終わりごろに、村内にある5軒の非公開民家と公開するときがありますので、役場若しくは、HPなど、気をつけていると見つかるかも知れません。

ナショナルトラスト「村上市見学会」に行ったときは、運よく佐藤家も見学が出来ました。まあ中に入り、体で感じないと、どのような案内書などで知識を得ても、とても表現することは不可能です。





写真 渡辺家 台所柱の根継ぎ



豪農・豪商の館ネットワーク
次回は村上市の建物群、新潟県の有名な「村上大工」の建物を紹介する予定です。









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還暦・・・・・漸くつかえる「木」

■ 木が人に、大きな影響を与え、木の見分け方。

この世に生まれ、数え年も61才を越え、山の立ち木も漸く使えるかなあと・・・・・・・
いつも山に入って考えることは、60年以上の立ち木で何とか切っても、色々と使い道を考えるとまだ山に置いて成長したほうが思うのが数多くあります。
立ち木を見るときは自分の眼の高さ(眼とおりと言う)でどの位の太さ、幹全体の容姿などを鑑み、決めることが大事です。
仮に60年の立ち木の、眼とおりの直径が1尺2寸とすると、一年平均、一分の年輪と考えて、場所が、沢立ちか、山の中段か、頂に近いところか、同じところの山に一緒に植えても、土地、環境の違いなどでも全てと云っていいほど違います。木材原木市場などで見ているのとは全然違います。
また、周囲の環境による影響もありますから、何処かの名だけのニセの専門家の書いた「専門書」などは半分が違うと思って間違いなく、出来ることなら木が判る「木挽き」に同行し、その山の伐採が終わるまで、弁当持参で勉強すると幾らかは判ってきます。
でも木を見分ける木挽きがいなくなったのも「木の文化」の衰退である。





■ 人が生きるのと、木が育つのが同じである。

本格的「入母屋の家」建てたい施主の時、山に80年以上の立ち木があるかで決まります。なぜかと言うと、製材所から買うと、長さなどで特殊材扱いになり、高い構造材・化粧屋根材(軒回り)を買わなければならなくなりの大きな出費を強いられ、内部の造作材まで影響します。
今まで多く手がけた家の持山で建てる、難点は、着手からの時間が長くなり、結いでの仕事になることが多くありましたが、昭和50年代後半からは、伐採から製材までの一切を引き受けて行なうようにしてから、山の条件がよければ、持山材で仕事をしております。
極端な例としては、すぐ裏山で搬出等に大型のトラックが入るところでは、製材所からからの木材購入の半分の、金額で建てた家などは、その分は楽に山に返すことができたのです。
そのように、本当の家つくりの材料として、ようやく「住む人」との「共生」が「木の家」の始まりです。




■ 戦後の「山」、国の舵取りの大きな誤り。

人間の寿命と同じで、80年以上成長して、漸く大きな器の家をつくることが出来るのです。市場に出る丸太材などは、国が基準を決め、40年伐期が多く、とても構造材などに使用するなんて云うのは、バラック住宅向きがやっとなのです。それを隠しためにいつまで持つかわからない「集成材」なるものを奨励しているのです。
その辺りから、日本の山を駄目にした、始まりがあったのです。それに漸く気がつき、植林等山の整備の転換が行われ、山に人が入らなくなり、大きな荒廃になってきたのです。
戦後の国の施策を見ているとその場の、場当たり主義、霞が関から見ている山を知らない〇〇庁などの官僚の、国費(税金)の使い方が、亡国国家を招いたと言っても過言ではないと思います。
(テメラの懐を肥やし、ツケは全て国民にが、現在の行政ではないでしょうか)





■ 「そろばん」玉を弾いても、山は好くならず、国民の「気」が「山」を再生する。

効率のみを追い求めている現在の「住まい」は都会に生活する方に、物事の幅・高さと「人」を窮屈に育て、周囲を無視する人間に溢れ、自分本位な卑屈な社会形成が、「教育・仕事」など現場に大きな影響を与えているである。
まして、便利さのみを求め、卵を産むために生まれてきた鶏のすむ、「ゲージ」のような高層アパート・マンションなどで、育つ子らには土の上の生活、自然界の役割などなどは別世界の出来事のように写るだろう。
そこで,東京のど真ん中の超高層ビルの間の東西南北に、杉の木を植えて都会のサラリーマンに癒しと、日本各地の山に生えているのが判るようにしたら考えるが、都知事はどう考えるだろか、自然界の動きが、変な大学の先生より判ると思う、木の育ち方が黙っていても判る。
日当たりの良い木は枝ばかり多くて余り伸びないが、日陰の木ほど真直ぐに伸びるのが人目でわかります。




■ 「石」(鉱物)の文化になると「国」が滅びる、しかし「木」の文化は発展する。

動物と言う生き物がこの世に存在して、住みかを求める姿は誰が見ても判ると思う、人間とて最初は何処かの物陰に身を隠し安全を確かめての日々の生活が、形を変えてきたのが現在の姿である。
家とは防御から始まり「石」所謂洞窟、岩穴などが最初で、それから段々と自然界に存在する「木」など、多くの植物を利用し、考えだしたのが、我国の「住文化」である。
現在のような多くの「地下資源・化学技術」を屈しての住まいつくり生活は遠からず滅びるであろうと思う、外国の生活文化の違うところからの「輸入住宅」いわゆる「湿気」に弱い2×4などの白太だけの木材などは、最初の見た目だけの良い材料、さらに工期が早いと広告して奨励する阿呆さ、10年と持たない住宅をつくり買う日本人よ、「石」で作るより手が悪いよ。
道具としての鉱物資源を活用するのは良いが、安住な住みかを「石」(鉱物)で作るのは、人を狂わして行くだけで、今の都市の姿は愚かな形に気がつかないだけで、発展という何かに取り付かれた人間の後ろ姿に書いてあるよ。本当の真実は・・・・・・「南無阿弥陀仏」・・・・・・・「南無大師遍照金剛」を追い求めているだけ、それを守る器を作ってきたのが「木と職人」、学者や官僚ではないのをわかるのは本物の「大人」よ。

写真 岩手県重要文化財 千厩町 村上家
この家のように200年以上、現代の家が残るだろうか。嘘だろう????






posted by kanno at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 気仙大工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

26回目兄弟弟子の「新年会」

我々の育ての親、師匠菅野正雄、亡き(昭和55年(1980)6月 他界享年69才)後、49日に兄弟弟子(正式に見上がり(1人前と認めた)35人と、後に2代目の弟子10人)らで、結成した親睦会、師匠の法名から1字を戴き「匠会」が今年で26回目の新年会を、1月1日(毎年)元旦に行なわれ、郷里を離れ,主に首都圏に約3分の一が住み、全員が会うことは不可能ですが、正月とお盆に帰省した時、地元と就業先の仕事の動向などを話題に、酒を魚にお互いの無事と健康で顔が見られるのが楽しみで、1度も休会せずに継続してきました。

弟子修行を終え、1人前の社会人として年齢に関係なく、会の席順はくじ引きで決め、一番くじを当てた方が、会の乾杯の音頭で始まり、会の元締めは弟子修行の年齢順に1代一年と決め、今年は27人目(代目)が会を代表して、1年間の行事を幹事(地元、首都圏連絡幹事を設け)が決めて、新年会後は桜の花見、師匠や先立った兄弟の年回忌などの時はお盆の帰省時、その間には、夏のつり大会、秋の芋煮、忘年会など、地元に住む人たちで顔を合せ、年齢の上下もなく、気軽に合えることがこのように長く持続できたと自負しております。



如何せん、我々の世界の仕事は、昨日の友が今日は敵となり、仕事の分捕りは日常茶飯事が常に当たり前であり、我々弟子らは、今は他界した一番弟子の兄が出来た方で、兄弟の関係した人の縄張りまで入り、仕事をして儲けるも結構だが、お互いが何時あっても、気まずい関係だけはつくらないように仕事を行なおうと常々口癖でしたから、それが今でもお互いの心にあるのか、仕事の分捕りがないのが、世の中に自慢できる唯一の支えです。

自分も全国を歩き、色々な方と出会い同業、建築関係者などと会いますが、特定の関係は結構あっても、同じ釜の飯を食べた連中らが、約30年の年齢差を越えての付き合いの話は余り聞いたことがなく、気仙の先人師匠らも多くの職人を育て輩出したが、ギクシャクした人間関係は聞いており、良好な関係が続いているのは耳にしたことはないのが、不思議に思う。兄弟も約半数が、独立若しくは棟梁として頑張っており、わからないことがあると遠慮なく電話などで聞きに来るのも、会のお蔭かなあとつくづく思うである。

我々、木組の「ものつくり」は数千年経ても、根本は不変であり。最後は「人」

法隆寺宮大工棟梁、西岡常一氏。

木組みは、木のくせ組み
木のくせ組みは、人組み
人組みは、人の心組み
人の心組みは、棟梁の
工人への思いやり
 の言葉に尽きると思う。後はいらない。





 
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